テセウスの船というパラドックスをご存知だろうか?
生徒に上の動画の存在を教えてもらった。
テセウスの船、という話だ。
「テセウスが冒険から帰還した後、船はずっとアテネの人々によって保管されていた。朽ちた木材は少しづつ新しい木材で修理されていたが、ある時、古い木材を保管していた人物によってそっくりそのまま、古いテセウスの船が復元されてしまった」
「さて、本物のテセウスの船は、一体どちらなのだろうか???」
・人体は新陳代謝によって、約3か月で入れ替わる。どれが自分なのだろうか? もしくは、いつの自分が本当の自分なのだろうか?
・卒業を繰り返すアイドルグループは、どこに本体があるのだろうか?
・学校も会社も人の入れ替わりがある。本当の袋井高南小学校は、僕たち先輩を示すのか、それとも在校生を示すのか?
経営学で制度論を研究されているU先生は、アリストテレスは四原因説をひき、会社の本質がどこにあるのかを説いてくれた。
アリストテレスの四原因説。
1.形相因・・・物の形に本質があるという考え方。
2.資料因・・・物の材料に本質があるという考え方。
3.目的因・・・目指すものに本質がある。
4.作用因・・・変化させる要因(船大工・加工技術)に本質がある。
このうちのどれかに本質がある。どれを本質と捉えるかは、人によって違うとアリストテレスは説く。
諸兄姉ならば、どう考えられるだろうか?
新時代の起業家理論『エフェクチュエーション』で最も重視されるのも、「私は誰だ?」という問いだ。これは貴女の哲学を問うている。
『エフェクチュエーション』に印象的な警句がある。
ドン・キホーテやルフィは、「自分が誰か」を良く知っている。だからこそ冒険に出るわけだ。哲学とは失敗や成功、あるいは善や悪さえも超越した基準となり、人を冒険という不確実性へ駆り立てる。
「成功の哲学」という言葉をしばし聞くが、成功のみを目指すのならそれは哲学ではない。
あなたは一体だれか?
いつのあなたが、一番貴方らしかったか?
誰とともにいる時、貴女は一番貴女らしいか?
何の仕事をしている時、貴方は貴方らしいか?
浪人3年目の1月1日。尊敬する西谷昇二先生が、かつて代ゼミ名物だった元旦講習をしてくださった。
「人生における栄光の瞬間は、いわゆる成功の瞬間にはない。そうではなく、落胆や絶望にありながら、心の内から確信が沸き起こる瞬間にある。私は世界の役に立つことができるのだ、と」(私訳)
この言葉は、まだ僕の部屋の壁に殴り書きされたままだ。
あなたがあなたであるのは、肉体や過去の記憶があるから、ではないかもしれない。愛や天啓に人の本質はある。魂と言えるかもしれない。
しかし、そんな夢や幻想を「私の本質」と認識して良いのだろうか。
人の本質とはむしろ夢や幻想にあると僕は思う。テセウスの夢を乗せた船ならば、それはテセウスの船なのだ。2つあろうが関係ない。共にテセウスの船だ。
大和魂とは、「もののあわれ」を意味したと2人の指導教官から教えていただいた。さめざめと泣く男や、花を愛でる女。一晩で千里を駆ける霊。かつての大和の人は、鬼や物の怪など、存在のない「もののあわれ」に自分の立ち位置を置いていた。カネや富ではなく。
肉体を保つためには不確実だが、人と親密になるためには、むしろそちらの方が確実だった。
「あなたはいったいどんな夢をみているのか?」
この問いに答えられる時だけ、あなたは、あなたなのだ。
お読みくださいまして、誠にありがとうございます!
めっちゃ嬉しいです😃
起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)
下のリンクの新刊出させていただきました。
ご感想いただけましたら、この上ない幸いです😃