祖父の絵手紙
母方の祖父は定年退職後、自宅で書道教室を開いていた。教室として使っていた部屋はいつも墨の匂いがしていた。墨で服が汚れるといけないから、と言う理由で、母から教室に使っている部屋には「入ってはいけません」と言われていた。
書道教室には小学生からご老人まで様々な年齢とレベルの生徒さんがいたので、学校で使うような半紙から掛け軸に使うような色紙まで、いろんな紙が用意されていた。母も書道は嗜んでいたが、こんなに様々な紙を使うことは当時はなかったから、珍しくてよく母の目を盗んでは部屋に忍び込んで押し入れの中を物色していた。
冬休みの帰省を目前にしたある日、祖父から手紙が届いた。
祖父の手紙はいつも毛筆でおまけに草書体で書かれている上に、所々「しやうと思います」などの文語体で書いてあり小学生には難解だったので、毎度母に「解読」をお願いしていた。
「おじいちゃんの手紙、いつも難しくて読まれへんわ」
と私達が文句を言うのを聞いた祖父は一計を案じたのだろう、その時初めて「絵手紙」を送ってきてくれたのである。
紙は書初めに使う縦長の書道用紙を横長に使ってあり、出来るだけ草書体にならないように、読みやすくしてあった。残念ながら文語体はもう祖父の身体に染み付いた習慣のようで、「かぜをひかないやうにしてください」などと書かれていたが、大体意味は分かったので子供でも読むことが出来た。
妹と頬をくっつけるようにして、手紙を手に取って平安時代の手紙のようにうやうやしく横に流していきながら二人で読んだ。
書き始めの
「もうすぐ冬休みですね」
という文の後には、毛糸の帽子を被って凧揚げをしている女の子二人の絵が墨で描かれている。帽子には赤い水性マジックで花の模様が小さく描いてあった。
続いて、
「おじいちゃんとおばあちゃんは二人が来てくれるのを今か今かと楽しみにまっています」
「とおいところ、でんしゃののりかえはたいへんですね」
「いつもたくさんでんしゃにのってきてくれてありがとう」
という文章の横には、当時私達が祖父母のところに行くために利用していた京阪特急と、母親と手を繋いでホームで電車を待っている子供二人の後ろ姿が描いてあった。特急電車はちゃんとそれとわかるように彩色してあった。
次に、
「もういくつねるとおしょうがつ、ごちそうたくさんたべたいですね」
「でもおもちのたべすぎにはきをつけないといけません」
との文章には焼き網の上で膨らんだ餅を食べるのを待っている、二人の女の子が描かれていた。二人は頬を赤くして笑っている。私達姉妹のことを描いたのだろう。
他にもたくさんの絵が描かれていて、私達は夢中になって読んだ。「あ、これ特急や!」「ねーお母さん、またおじいちゃん『やうに』って書いてるー」「お年玉の袋も描いてある!」などと言って笑いながら、何度も繰り返して読んだ。
こんな手紙を読むのは初めてで、とても楽しかった。手紙を読んだら、祖父母のところに行くのが益々待ち遠しくなった。
この手紙のことは大きくなってからもずっと忘れられなかった。妹もよく覚えており、「あれは嬉しかったよな。また読みたい。どこかに置いてないかな」と随分探したのだが、生憎紛失してしまったようで二人共ついに探し出すことは出来なかった。
絵手紙を書きながら、祖父もきっと私達孫に会うのを心待ちにしていたのだろうと思う。子供の頃は単純に「字だけじゃなくて絵が描いてある!紙が横に長い!昔の手紙みたい!」と言って珍しがって喜んでいただけだったが、人の親になり孫を持っても良い年齢になった今、やっとあの時の祖父の心情に思いを馳せることが出来るようになった。
LINEやメールなどがない時代、孫が来るのを楽しみに待っている自分達の気持ちを、祖父はなんとかして幼い私達に伝えたかったのだろう。
なくしてしまうにはあまりに惜しい、素敵な手紙だった。実家のどこかに残っていたら良いのにな、と未だに思っている。
妹と頬をくっつけあって笑いながらあの手紙を読んだ記憶は、半世紀近く経った今でも鮮やかに蘇る。
冬になると思い出す、優しかった祖父のとびきりの思い出である。