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主婦業という仕事


#私の仕事

昔は「三食昼寝付き」などと言われて後ろ指を指される事も多かった専業主婦であるが、最近それを久しぶりにやっている。私の手際が悪いのかも知れないが、昼寝をする暇なんてどこにあるのかと思う。「三食」は自分が材料を調達してきて自分が作るのだから、結果的に自分で働く事によってしか食べられない。たまにはいいとして、私自身はランチなど優雅に毎日行ける身分ではない。私にはいないが、小さな子供が居れば尚更であろう。

私の主婦としての仕事は朝6:00前に始まる。7:00には夫が出勤する為、間に合うように二人分の朝食を作る。門灯を消し、ゴミの日はゴミを出す。夫を送り出しながら洗濯機を回す。洗濯機を回しながら掃除する。掃除は床をまずウエットシートで拭いてから掃除機をかける。細かい所はウエットシートを外して手を使って拭く。トイレと洗面所も掃除。そうこうする間に洗濯が終わる。で、干す。干し終わると浴室を掃除する。終わると朝食の後片付け。食洗機がないので、皿洗いをする。ゴミを出した後のゴミ箱も洗って干す。

終わると買い物に行く。このついでに、夫に依頼された郵便を出したり、納付するお金があればコンビニなどにも出向く。帰って来ると大体昼前である。

午後からは少し余裕もあるが、この調子で延々とやる事はある。別にしんどくもないが、エンドレスで365日である。そんな仕事って他にあるだろうか?と時々思う。ハウスキーパーという英語の表現はとてもしっくりくる。

これはどんな仕事にも通ずることかと思うが、イヤイヤやっていると辛いと思う。で、私自身はちょっとだけでも「わあい!」と思える事を意識して入れるようにしている。

例えば、「この皿洗いが済んだら、あのお菓子を食べて10分休憩しよう」とか、「今日は天気が良いから、買い物ついでにちょっと遠回りして、高台から富士山を眺めよう」「noteに投稿する文章を考えよう」と言った具合である。

小さ過ぎるくらい小さな事だが、私はこれがあるとないで大違いなのだ。これがないと「家事=無意識下の連続流れ作業」になってしまう。この「無意識下の連続流れ作業」は心を蝕むような気がする。心の休憩、というか、意識して自分を喜ばせる必要を常に感じているし、実行している。

疲れて帰ってくる夫に「ああ帰って来て良かった。やっぱり家はいいなあ」と思ってもらえれば、私も幸せになる。私が「つまんねえ」と思いながら家事をした後の家は、夫はきっと「つまんねえ家」と感じるだろう。夫が「つまんねえ」なら私も「つまんねえ」。自ら「つまんねえ」の種を蒔かないようにしたいものだ、と思っている。


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