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みんなが笑顔で

先日インカムを聞いていたら、
「サービスカウンターのFです。鮮魚の方、どなたかインカム取れますか?」
と遠慮がちな調子の問い合わせが入った。
なんだろう、と思って聞き耳を立てていると、
「ご予約の刺身の盛り合わせを受け取りに来られたお客様なんですが、『何故割り箸が付いていないのか』と仰ってます。『もう割り箸はお付けしていません』とご説明したのですが、『それなら購入を止める』と仰って返品をご希望です。応じても構いませんでしょうか?」
思わずMさんと顔を見合わせて、ウソォ、と呟いてしまった。

刺身など生ものの予約は先払いである。勿論返品しないのが大原則だ。
割り箸の添付は昔はやっていたようだが、近年は環境に配慮する為、という名目で、とっくに廃止されている。希望される場合は先にお申し出頂いて、『購入』して頂くことになっている。
それにしても、割り箸がないことに立腹しての返品って、訳が分からない。
「刺身の返品って聞いたことないですね。鮮魚のTさん、どうするんだろう?」
Mさんもビックリして、固唾をのんで成り行きに耳を澄ませている。

「ああ、応じて良いですよ。すぐに取りに伺います」
Tさんはしれっと応じた。続いて、インカムからこんな声が聞こえてきた。
「やってられねえな。割り箸ないから刺身返品するってよ」
「あり得ねえ。やめて欲しいよなあ」
鮮魚部門のスタッフの会話が丸聞こえだったのである。
気持ちは物凄くわかる。Mさんと二人して、大いに同情した。
時間までに人員を割いて、きちんと用意した品がそんな理由で返品されては、やる気がなくなりそうである。
このやり取りは、事務所に居る店長にも聞こえていた筈だ。Tさんは機転の利く頭の良い人だから、案外わざとインカムを通したのかも知れない。

ふと、これが海外だったらどうなるだろう、と考えてみた。
お国柄によっては、店員と客でつかみ合いの喧嘩になるかも知れない。
「勝手なこと言うな!生ものの返品なんて、出来ひんに決まってるやろ!」
「だって、箸がないと困るやん!箸も値段のうちやろ!ないのはおかしい!」
といった具合に、お客側と同様、店側もガンガン主張するのではないかと思う。日本では絶対に見られない光景だ。

でも、今回のケースは私なら海外式に賛成である。おおいにやったらいいと思う。
現在の日本のお店は客に遠慮し過ぎだと思う。
カスハラ対策なんて言葉が漸く聞かれるようになってきたけれど、それだけ酷い実態がある、或いはエスカレートしつつある、ということなんだろう。

私自身はそこまで酷い目にあったことはない、と思っているが、稀に
「今日、お客様にこんなことを言われた」
と帰宅してから夫に話すと、
「それってカスハラやんけ」
と呆れられることがある。
しかし、自分ではそこまで酷い事態だとは思っていないのが怖い。第三者である夫に指摘されて初めて、『あ、そうか』という感じなのである。
自分が傷つくということに対して、随分鈍感になってしまっているのかなあ、と思う。
私の他の方々も同じような感じだ。いや、私よりもずっと鈍感な方が多いような印象を受ける。

『鈍感』なのは良いことなんだろうか。
接客業で働く場合、あまりに繊細で傷つきやすい心を持っている人は、確かに辛い目にあうことが多いだろう。客層にもよるが、多分長くは働き続けられないと思う。無理して働き続ければ、心を病んでしまうかもしれない。
『おっと、これはひょっとしてヤバイ』と、傷付けられるような言動に出くわすことは、頻繁にある。そういった言動をいかに自分の中で『消化』し、『自分を傷つけないようにするか』は、こっちの心の持ちよう次第であると思う。
相手を批判するのではなく、かといって恐れ入るのでもない。ただ心のシャッターを上手に降ろせるか否か、で気分は変わってくる。

だけど、誰にだって『限度』がある。
限度は人によってまちまちだと思うが、お客様の方にも従業員に対する『人』としての配慮が、もう少しあると嬉しいと思うことは多々ある。
お客様の認識を変えるのは、『世間』の認識を変えることだ。蟻が大きな岩を動かすのに等しい感じがする。
条例などで『脅す』感じは好きではないが、ゆっくりとでもカスハラに対する『世間』の認識が変わっていくと良いな、と思っている。
お客様も従業員も、みんなが笑顔で過ごせる世の中の方が良い。



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在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。