答えの出しようがない答え
先日の、酷い嵐の翌日のことである。
私のいるレジに、一人の男性客が来られた。四十代前半くらいか。スーツ姿である。
平日のこの時間にこの出で立ちでご来店される方は、大抵ビニール傘か折り畳み傘を購入されることが多い。この方もそうかな、と思っていらっしゃいませ、と声をかけた。
すると彼は眉間に皺を寄せ、真剣な顔でスイマセンと言った後、私に向かって真面目な口調でこう言った。
「おたくに『絶対に折れない傘』はありますか?」
『絶対にパンクしない自転車』は知っている。本当にパンクしないので、子供が中学生の時、それに乗っている子を羨ましがっていたのを覚えている。
チューブの構造が特殊な造りになっているらしい。近所の自転車屋にも売っていたが、なかなかいいお値段だったので、とても買う気にはなれなかった。
しかし、『絶対に折れない傘』は今のところ存在しない(と思う)。あったら私が欲しい。傘メーカーの存亡にかかわる凄い商品になるだろう。
因みに『耐風傘』ならある。風を受けると『おちょこ』にはなるが、ちゃんと元通りになるという傘だ。しかし『絶対に折れない』訳ではない。
私はその旨、説明した。
「生憎、『絶対に折れない傘』はお取り扱いございません。『耐風』のものはございますが、それも『普通の傘よりも丈夫で折れにくい』というだけでして、『絶対』ではございません」
私は真面目そうなお客様の顔に向かって、一応気の毒そうに『これ以上の説明は出来かねます』という顔をして見せた。
お客様はうーんと唸って黙り込んでしまった。しかし暫くして彼が発したのは意外な言葉だった。
「そうですか・・・ではその『耐風』はどのくらいのレベルなんでしょうか?」
そう来たか。ちょっとうんざりする。私だったらGoogle大先生に自分で訊くけど。こっちだって、そんなこと知ったこっちゃない。
一応、何メートルで試験した、などの記述は申し訳程度にあるが、異なる状況下では折れることだってあるだろう。何事も『絶対』はない。平家物語の冒頭にも書いてある。
「耐風試験は行ってはおりますが、その風速だと絶対に大丈夫、とは言いきれません。あくまでも『目安』でございますので」
最早傘の性能の説明というより、『世の中はなんでも諸行無常』の説明になってしまっているが、どうしようもない。
結局、お客様は憤懣やるかたない、と言った顔をして
「もういいです!近所の傘屋をまわって、『絶対に折れない傘』を探します!」
と言って、買わずに帰られた。
見つかったら教えて欲しい。
別の日、インカムをきいていたら、こんな声が耳に入ってきた。
「インカム、失礼します。鮮魚のYです。ドライ(一般食品)担当の方にお尋ねします。鮮魚部門で扱っている『昆布の梅酢漬け』という商品があるんですけど、この商品とそちらで扱っている『都こんぶ』はどちらの方が酸っぱいでしょうか?お客様からのお尋ねです」
こみ上げる笑いを禁じえなかった。きっとお客様に大真面目に訊かれて、Yさんも困ったのだろう。
さあ、誰がどう答えるだろう、と思って興味津々でインカムを聞いていると、シーンとして誰も答えようとしない。どう答えたものか、ドライのメンバーも戸惑っているのだろう。
暫くすると主任のHさんの声が聞こえてきた。
「ドライのHです。どちらと言われましても・・・お好みもありますし、『酸っぱい』という感覚は人によって違いますので、正直お答え致しかねます。強いて言うなら、そちらの『梅酢漬け』はご飯のお供になりますが、『都こんぶ』はおやつとかおつまみにしかなりません。そのお答えでご納得いただけないでしょうか?」
明らかに戸惑った様子の珍回答に、気の毒ながらもプッとふき出す。
Hさんの答えは正しいけれど、お客様のお聞きになりたいこととはズレている。こんなので果たしてご納得頂けるのだろうか。
「わかりました!そのようにお答えします。ありがとうございます」
Yさんは元気よく言ってインカムを切った。
その後、再度インカムが入ることはなかった。
ご納得なさったのだろうか。甚だ疑問が残るが、Hさんは胸を撫でおろしていたことだろう。
お客様からこういう『答えの出しようがない答え』を求められると、私達従業員は非常に困る。
お客様にしてみれば『答えがある』のが当然、なのかも知れないが、こちらは『答えがない』としか答えられない時もある。
ただ聞いているだけなら下手な漫才より面白いが、いざ自分が訊かれるとなると、真剣に答えねばならないという使命感と、お客様の期待感との板挟みになって結構苦しい。『答えがない』ことをお伝えした時のお客様の落胆や怒りは、見ていて申し訳なくなってしまう時もある。
そして『常識』って人によって本当に違うんだなあ、としみじみ感じる。
世の中には色んな人が居て、その人の数だけ価値観がある。
それを日々感じられる接客業は、やはり面白い。