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寝かせる

「これは一旦寝かせましょう」
クラリネットの師匠のK先生にレッスンの時にそう言われると、いつももどかしい思いがしたものだった。
先生はこちらが気付かないうちに、習熟度に応じて少しずつレッスン曲の難易度を上げていく。レッスンは月一回一時間だったが、そこに間に合わせるためにこちらがどれくらい練習して、どれくらい技術を上げてくるのか、先生は全てお見通しのようだった。

難易度上がりたての時は必死で取り組んでも、どうしても到達できないところがある。表現の仕方だったり、フィンガリング(運指)だったり、フレージングだったりその時によって躓くポイントは違うが、練習を重ねればやがて出来るようになる。しかし時折技術的には出来る筈なのに、何故か沼にはまったように長い間上手くできない時がある。
そういう時は「こんなに練習しているのに、どうして出来ないのか」とか、「先生はなぜ今の私にこれをさせるんだろう」とか、「まだ私には無理だったんじゃないか」とか「私はやっぱり不器用なんだ」と落ち込んだりする。そして色々疑心暗鬼に陥る。その結果集中力がそがれ、いつの間にか出来ない理由探しに一生懸命になってしまう。必然的に上達からは遠のく。
こういう時まるでそうなるのがわかっていたかのように、冒頭の言葉が先生から発せられる。

この言葉を聞くのは正直とても悔しい。もう少し練習すればきっと出来るようになるのに、なぜ今先生は私からこの曲を取り上げるんだろう、とちょっと恨めしくさえ思う。
実際
「先生、多分次回にはちゃんと吹けると思いますから、もう一回やらせてください」
とお願いしたことも何度もある。が、先生はその度にニヤリと笑って、
「ワインとかシチューとかは寝かせた方がまろやかになって美味しいでしょう?技術も同じです。シャカリキになって練習するのも大事なことですが、時には一旦寝かせて、熟成するのを待つのが良い時もあるんですよ」
と答えるのが常だった。
なんでクラリネットの技術がワインやシチューに例えられるのか、私にはさっぱり理解できなかった。

しかし本当にその通りになるから不思議である。
先生は忘れた頃に、
「そういえば○○途中でしたね。次回やりましょう」
とか、酷い時には
「今、○○の譜面持ってますか?ちょっと吹いてみなさい」
とかいって、長い間放っておいた曲を急にやらせることがよくあった。
ええっ!どうしよう、久しぶりだし指動くかなあ、注意されたこと覚えているかなあ、なんて不安になりながら吹いてみるとほぼ百パーセント上手く行く。吹き終えて、
「わ、出来た!」
と思わず言うと、
「ほら、だから寝かせなさいって言ったでしょう?」
と先生は笑う。

未だに先生が「一旦寝かせなさい」と仰った理由はよくわからない。ただ、そう仰った時に素直に従うと、本当に出来るようになる時が来るのは確実だった。
先生は「この曲のこの部分はこれくらいの技術でできる。今は無理なようだが、この練習曲のこの部分が出来るようになれば、戻ってもう一度あの曲をやってみたら出来る」ということが頭の中でキチンと系統立てて整理されているんだと思う。こういう時、プロの凄さを感じる。
ついつい出来ないことがあるとシャカリキになって、必死で練習してしまいがちだ。シャカリキになって練習するのは良いことでもあるけれど、曲全体を眺められるようになってから躓いた部分を改めて見てみると、意外な発見があったりする。
できない、できない、と頭にカーっと血が上っている状態ではなく、どこがどういう風にできないのか、冷静に見極める時間も必要、ということだろう。

先日、最後のレッスンでうまく出来なかった曲を吹いてみたら、すんなりスムーズに吹けた。自分でもあれっと思った。
先生に言われたように個人練習を続けているが、たいして上手くなったようには思っていなかった。やっぱりレッスン受けないとだめだなあ、と思っていた。
でも日々の練習の積み重ねはちゃんと残って熟成しているんだなあ、と嬉しかった。同時にK先生にあらためて感謝した。
寝かせている曲はまだ数曲ある。これからボツボツやっていこう。
下手でも自分なりの進歩を感じられるこんな瞬間に、クラリネット練習の醍醐味がある。