去り行く老兵
先日、事務所の掲示板に『お知らせ』と題した紙が貼ってあったので、何かなと思って読んでみると、店に一台こっきりになっていた公衆電話が撤去されるということが書いてあった。
とうとうか、と思った。
私がこの店に来た四年前は、二階に一台、一階に三台、計四台の公衆電話があった。二階はエレベーターの前に、一階は三つある出入口それぞれに置かれていた。
入社したての頃は、『場所のお尋ねがよくある館内施設』として場所を教えられ、実際にどこにあるかを確認するようにも言われたものだった。
確かに初めの一年くらいはちょくちょくお尋ねがあったが、ここ数年は全くと言って良いほどない。
今回の撤去はNTT側の要請、ということであった。殆ど使われていない、ということなんだろう。年明け二十日に撤去作業を完了します、とあった。
私のいるレジは、そのたった一台の公衆電話に近い。もし撤去された場合、
「じゃあどこだったらあるの?」
と訊かれてマゴマゴするのも困るなあ、と思った。
因みに店のマニュアルでは、
「当方では分かりかねます」
と答えろ、となっている。しかし実際に面と向かってそれを言えるかどうか、そしてこちらの答えに納得して下さるかどうか、はどんな顧客かによる。マニュアルはそこまで想定していない。そんなこと現場は十二分に分かっているので、予め勝手に調べておくことにした。
NTTのHPからは、公衆電話の設置場所の検索ができる。そんなサービスがあることすら知らなかったが、初めて利用してみて驚いた。
ない。全然ない。
一番近いもので最寄り駅の東側にあるが、ウチの店からは坂道を三百メートルは歩かねばならない。
あとは駅の西側に二つ。それも駅からやはり同じくらいの距離を行かねばならない。しかも一つは大きな病院の中にあるようだ。
東側に至っては駅以外には存在せず、最も近いのは一キロ以上先の、地下鉄の駅の構内である。途中には全くない。
ちょっとビックリしてしまった。
みんながみんな、携帯電話を持っているのかなあ、とちょっと疑問に思い調べて見たら、携帯電話の普及率は今や百七十パーセントを超えているらしい。その数字にもへえ~と感心したし、さらにスマートフォンの普及率は九十パーセントを超えているということも分かって、そりゃ公衆電話要らんよなあ、と漸く納得がいった。
ポケットベルやPHSも廃止されて随分経った。今やないことが当たり前になってしまっているが、我々の生活に支障は出ていない。その役目を終え、なくても困らないもの、になってしまった訳だ。
黒電話も赤電話もピンク電話もとうの昔になくなった。ついに緑の電話もなくなるんだなあ、と思うと感慨深い。
子供でも携帯電話を持っている時代だから、公衆電話の必要性はほぼゼロに近いことは疑う余地がなさそうだ。
でも、本当に全て廃止してしまって良いのかなあ、とちょっと気にはなる。こういう古いものを廃止していく時には、必ずそういう論争が起きるものだとは思うけれど、今回はたいして問題にもなっていないようだ。時代の移り変わりは、時に残酷なほど早い。
店には需要がない訳ではない、と思う。
本当にごく稀に、ではあるが、タクシーを呼ぶお年寄りがいらっしゃるのだ。ああいう方をどうするんだろう、というのが今の私のちょっとした懸念である。
サービスカウンターで呼ぶのか。その場合、電話代を頂戴するのか。サービスカウンターの超忙しい面々に、また要らぬ仕事が増えることにならなきゃいいが。
店にはお一人、言葉のご不自由な車椅子のご常連がいらっしゃる。この方の場合は、ご要望があればサービスカウンターがタクシーを呼んでいる。この時は電話代を頂戴しているらしい。
しかしご事情がご事情であるから、の特例であると思う。お互いも慣れている。タクシーを呼びたい方、全てのご要望に応えるのは無理だろう。
店としては撤去するなとも言えず、NTTさんの言う通りにするしかない。
何か惜しいような、去り行く老兵を見送るような気持ちで、正面玄関の片隅に置かれた公衆電話を眺めている。