シェア
魔窟みたいに物が詰まっているキャビネットから、すすすっとお薬手帳が転がり落ちてきた。 何気なくペラペラ見ていて気づく。 この2年、風邪をひいて耳鼻科に行っていない。 厳密には、新型コロナの感染拡大が深刻さを急加速させていた2020年3月に、まさかのインフルエンザに罹患して1度内科を受診していた。 もう春になったぞという時期になってからの、あえてのインフルエンザ… 例年、季節の変わり目はいつも鼻風邪をひき、うまいこと市販薬で治せないと喉にいって、最終的に耳鼻科を受診してい
実家から車で30分ほど走ったところに、世界で一番美しいスターバックス、というスタバがある。 今もそのポジションなのかは知らないが、少なくともかつてはそう言われていた。 11月のとても穏やかな天気の日、そのスタバがある公園は、それはそれは気持ち良い空気に満ちていた。 平日の午後、買ってきたコーヒーを父と母に渡すと、時間は止まってるのに風は吹いているような不思議な空気のなか、わたしは無言で公園内を歩いた。 散歩というにはかなり激しい歩き方だったが、わたしはぐいぐい歩きまわり、展
長女も次女もすさまじくおしゃべりなので、休日の朝は「何でもいいから遠くにおって(おかんは眠い)」が第一声。 夜も「口閉じて、もう寝る時間!」と3回くらい言わないといけない。 疲れる。 たいがい夕方くらいには限界が来て「おかん、ちょっとお返事休むね」とことわってから、しばらく何を言われても返事しない時間がある。 「わかった!」と言いつつ、それでもかまわず話し続ける彼女たちのメンタル強すぎ。 こんなにも親に真剣に向き合ってくれる時間なんてあっという間に過ぎる。今だけの時間を
ディズニーランドに行きたいね。鬼滅の刃のおもちゃ買おうね。お揃いのコート着ようね。 子どもとの会話には希望がたくさんある。要望も含め、そればっかりと言っても過言ではない。 やりたいことの意志表示は、全然悪いことじゃない。いつかできたらいいなと思う気持ちと、実現可能性は、必ずしもいつも同じ天秤には乗っけていないし。親は「やりたいね、やろうね」と相槌を打ちまくる。 だけど、子どもは手厳しい。 「やりたいねーばっかりで、お母さん全然やってくれないじゃん」 普段のおぼつかな
金星の光が、うるうるして今にもしたたり落ちそうだ。低い西の空で白くきらめいている。 木星も土星もくっきり見えるけど、薄雲が広がっているせいか、山羊座は見えなかった。スタバの前に立っているからかもしれない。 川の向こうに林立するタワマンの光も、それはそれでいとおしいと思う。夜の中に浮かび上がる光は、種類を問わずあたたかい。 ハロウィンの真後ろに、クリスマスの気配が見え隠れする10月の終わり。1年で最も好きな11月がやってくると思うとうれしい。夕方の風は冷たく、星の光はあた
最近、歯医者さんに行くのが怖い。憂鬱になる。 わたしは、治療自体や治療後に痛みで困ることはほとんどない。時々あっても(許容できないほどじゃない…)で、大概は済む。 痛いのが怖いわけじゃない。単純なことに気づいてしまったのだ。 わたしは閉所恐怖症だが、本質的に怖がっているのは、息ができなくなることだ。わたしの中で、狭い場所にいることは息ができなくなることに直結してしまう。 そして、歯医者の治療は、口の中にたくさん器具を入れられるから苦しい。 つまり、治療のために口の中を覆う
普段、明治通りを渋谷から原宿方面に、キャットストリート側の歩道を歩いて会社に行く。 でも今日、ただ何となく逆側の歩道を歩いてみた。そこには似て非なる景色があった。 たとえば、ポールスミスの路面店のディスプレイがいつもすごくカラフルなのは知っていた。でも、3階部分に大きな看板が出ているなんて知らなかった。いつも真下を歩いているから。 明治通りの街路樹はとても背が高い。ビルの6-7階に届くほどだ。太くはないが強い幹が伸びて伸びて伸びた先の葉っぱが、かすかに色づいていた。豊か
別にまったく聴かないわけではないが、生っぽい楽器や歌声が苦手である。アコースティックギターの音とか、アカペラとかハーモニーとかは特に。そもそも聴かないけど、おそらく演歌も。 音が波を生んで空気を震わせるようなリアル感、ひとの体温や熱意を感じる声や演奏を、からだが受けつけたがらない。 何でそうなったのか、考えてみた。 洋楽はほとんど聴かないが、J-POPは嫌いじゃない。ただ好みで言えば、EDMとかテクノとか音や声が加工されたジャンルが好きなだけで。 楽器演奏の面で言えば、わ
月末は、長女のスイミングの進級試験がある。 今月は進級できなかったらしい。泣きながら帰ってきた。 悔しいのだと言う。あと、不安だと。 母親の背中にべちょーっとしがみつき「11月も12月も進級できなかったらどうしよう」と、めそめそしている。 結果が出なければ意味がないと言うつもりはないし、彼女にとっては、悔しいという感情を体感することも、水泳の練習のプロセスそのものも、大切な意味を持つんだろうと思う。母親はそう思ってるよという事実が、ちょっとでも伝わったらいいなと願う。
子どもを学校と保育園に迎えに行った帰り道、自転車に乗っていると、暗い雲の隙間にやたら明るい星が見えた。 長女が「あれ、金星?」と尋ねてくる。以前、金星や木星を教えてからずいぶん経つのに、よく覚えてんなとこっちが驚いてしまった。 明るさからして金星だろうと思うものの、雲が多くて他に星が見えないから断定はできない。 ごまかす意味も込めて「あれが金星かどうか断定はできひんねんけど、金星は明星ともいうねんで」と言ってみた。 夕方に見えるのが宵の明星、朝方に見えるのが明けの明星。 「
明治神宮で、焼きたてのみたらしだんごを食べた。非常に美味しい。熱くて甘くてでっかくて、たいへん満足した。 その店には、みたらし以外にこしあんと醤油の2種類もあって、そっちもたぶんとても美味しいのだろう。 店の前に立つと、醤油が少し焦げた匂い、だんごが香ばしく焼ける匂いがした。そしてそれは、とある記憶をピンポイントで引っ張り出してきた。 それは、飛騨高山に行った時の記憶。 飛騨高山は山間の観光地で、街のあちこちで五平餅やみたらし団子を売っていた。せんべいや、飛騨牛の串焼き
日の落ちるのが早くなった。会社からの帰路で、もう星が見える。 低い空に大きな雲があるが、風が強いらしくどんどん流れていく。月が出たり隠れたりしていた。 ひっそりしたポラリスが見えた。普段はあまり気づかないのに、めずらしい。いつだって見えるのに、そんなに目立たない北極星。光度に比べて仰々しい感じがするから、響きの軽い“ポラリス”という呼び名の方が好き。 最近、気がつくと空を見ている。 仕事中の昼間、わたしのデスクから窓の外は見えない。だから朝夕の通勤途中、子どもを寝かしつ
湿度が高い日だ。くもってうす暗く、空気中の水分がとても多い。肌も喉もぺたぺたする。息苦しい秋の一日。 厚い雲に覆われて、空は遠近感がなく真っ白い。雨雲も雪雲も似ているが、雨雲の方が少しくすんで見える。雪雲も厚く暗い鉛色をしているが、雨雲はもっと黒みがかっている気がする。水分の重みが影を落として、色味まで沈ませるのかもしれない。 窓辺でぼーっと空を見ていたら、雨が降り出してきた。音はしないが、でも確実に降っている。景色を縦に刻む線状の雨。そういえば“雨粒”と呼ぶけれど、粒を
会社で大掛かりな席替えがあり、社長室の番人みたいな位置の席になってしまった。 秘書でもないのに、社長が面接なのかミーティングなのか、ただの離席なのか把握できてしまう。把握できてしまうから、社長に用事のある人は「あれ、社長は?」とわたしに尋ねてきて、わたしは答えることができてしまう。困ったものだ。 控えめに言ってわたしは自社の社長が大好きだが、社長室の掲示物や備品の整理などをする時に、すぐ手伝いにきちゃうのにはとにかく閉口している。「わたしのことは空気だと思ってくれ」と言おう