息子は私の見ている世界とは明らかに、違う世界を見ている。(恐らくほとんどの人は自分と同じものが皆に見えていると信じているけれど、、、、本当はパラレルワールドのように、違う世界を見ているのかも知れない。) 息子、漢字の鏡文字は当然多く、かなりの労力を漢字習得に注いだ。第一、文字を書くという作業がかなり苦痛なのだろう。筆圧は力持ちなので当然紙に穴があきそうなくらい、小さな漢字練習帳の枠からはみ出していることはいつもだった。4年生のほとんどの宿題の時間は、漢字習得だったような気が
ずいぶん前のこと、合唱団の引率で小学生男子を電車の中で引率しておりました。次々に子供たちの背負っていたリュックを網棚にのせていたところ、最後の子供がきょとんとするのです。あれ?私の言っている意味がわからないのだなと思わず、「Do you speak English?」 と聞いてしまいました。なぜかその車両が英語を話す観光客でいっぱいだったので、、、、急に英語で聞かれたその日本人の子供は慌てて大きく首を振っているので、「oh, You're Japanese」と言った後、ふと気
ママ友と優雅なランチを楽しんでいたら、、、、携帯がなった。息子の学校の担任の先生からだった。学校に電話をすることはあっても、かかってくることはない。かかってくるのはなにか良くないことがあった時だけ。 何かあったのだなと覚悟を決めて電話をとる。「残念なお知らせがあります。○○くんが友達に怪我をさせてしまったので、今病院です。今晩、相手のご家庭に謝りの電話を入れてください。」とのことだった。 息子が最寄の駅から出てくるのを車で待つ間、自分の頭の中で息子にかける言葉を整理してい
息子の面談に行った。笑いながら「いやぁ、○○君、授業中にずいぶん起きていられるようになりましたよ」新卒の担任の先生、開口一番の言葉に唖然として返答できなかった。 それが中1の新学期だったら、、、それは中2の後期の話。家での反抗的な態度や、学校での友達とのこと、成績のこと、、、、先生に伺いたいことを頭の中で番号をふって準備していた。 その先生の一言で、すべて腑に落ちた。試験範囲のノートが全くできていないのは当然だが、試験範囲の教科書がないと言い張る。(中2の終わりにロッカー
息子、中学生になりかなり迷走した。 第一に通学に片道約2時間ほどかかるために疲れ果てたこと。学年12人しかいなかった過疎化小学校から急に学年287人の進学校になったこと。夫が癌で入退院を繰り返したこと。それらのことが要因だろうと、、、、。 ある朝のこと、なにかのことで喧嘩をした。最寄りの駅まで、毎朝まだ暗いうちに車で送る。出なければならない時刻ギリギリに、お互いにカッとなって言ってしまった言葉を撤回するほどの心の余裕はなく、、、、、息子はそのまま玄関から怒って出て行った。
いつの頃からか、息子は誕生日を喜ばなくなった。正確に言うと、恥ずかしくなってきたのだ。 思い起こせば7歳の誕生日。親戚がいっぱい集まった。母が大好きなショートケーキを焼いてくれ、苺でほんのり色づいた薄いピンク色の生クリームで「しんちゃんおめでとう7さい」と書いてあった。それを見た瞬間息子の顔が緊張でかすかにこわばった。 「ハッピバースディトゥユ~」を最後まで皆が歌うのが待ちきれなかった。複雑な顔で自分のことが歌われるのをじっと我慢していた。その表情は、緊張の中に、嬉しさと
カチャ 玄関の扉が開く音がした。 ゆっくりお風呂に寝そべっていた私は、飛び上がった。そうだったのだ。今日は夫が学会で息子を迎えに行けないのだ。そういう時は瞬時に行動に移っている。気が付いたら濡れた髪を束ねて眼鏡のまま、車を猛スピードで走らせていた。 ただでさえ怖いものの多い息子。サッカーの終わる時刻はもうすでに真っ暗だった。どうかコーチが息子の迎えが来ていないことに気が付いてくれないだろうか、、、、。息子は気軽にコーチに話しかけたりはしない。友達のママが一緒に待っていてく
YMCAのサッカー教室に通っていた。夕方から夜にかけての練習で、正式なグランドで巨大な照明があるにも関わらず、なぜか暗闇の中で練習するのだった。 息子はある時から、あんなに好きだったサッカーの練習に、どうしても行きたくないとソファの下に潜り込むようになった。毎週支度はするものの、いざ行こうと思うと、とてつもなく強力な磁力に引っ張られるようにソファの下へと引きずられて行くのだ。毎回支度をしては行かないと言うので、こちらも疲れ果ててしまい、しばらくお休みさせてもらうことになった