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④息子のこと

息子は私の見ている世界とは明らかに、違う世界を見ている。(恐らくほとんどの人は自分と同じものが皆に見えていると信じているけれど、、、、本当はパラレルワールドのように、違う世界を見ているのかも知れない。)

息子、漢字の鏡文字は当然多く、かなりの労力を漢字習得に注いだ。第一、文字を書くという作業がかなり苦痛なのだろう。筆圧は力持ちなので当然紙に穴があきそうなくらい、小さな漢字練習帳の枠からはみ出していることはいつもだった。4年生のほとんどの宿題の時間は、漢字習得だったような気がする。

そして、6年生になりやっと、、、、カタカナが読めていないことに気づいた。私だってカタカナはなんとなくで読んでいるから、あまり気にならなかったのかもしれない。返される理科や社会のテストがことごとく、カタカナ間違いだった。

漢字にはあれだけ勢力を注いだのに、、、、私にとってカタカナのその間違いは、その形状からか、可笑しくて仕方がないのだ。テストが返ってくるたびに、息子の自尊心を傷つけないように、必死で笑いをこらえ、後ろをむいて肩を震わせていた。

そして気づいたことは、世の中にカタカナが苦手な人が、右と左が瞬時に区別できないのと同じくらいたくさんいるということ、、、、普段は大人の顔をして間違っていない振りをしているけれど、そういう人はエレベーターの開閉の文字も瞬間に判読できていないのだろうな。息子はそうして、そういう大人になった。

母は息子が大人の顔をして、昔からわかっていたような顔をして取り繕う前の、筆圧に自信のあらわれてた「ユューユーク」の回答がひたすら、懐かしい。


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