ダブルスをしようよ(前編)【feat.ずみ】
ずみがボールをつく。フォアサイドリターン。
随分広いコートに思わず笑ってしまう。前衛が顔を強張らせている。
その日、「ポーチの練習をしよう」とななコが言った。人数が少なく、ななコ自身プレイヤーとして入らざるを得ない状況下。
私にとって中上級は「すべてのショット、動きが当たり前にできていて、そこからの発展を学ぶための場所」であり、融通がきくとはいえ、そんな基本的な動きをさせて申し訳なく思う。
半面のクロスラリーに、前衛としてポーチに出る。
だいぶショートクロスな打球に、あれは無理でしょと思うが、思ったところでラリーが終わる訳ではない。私にとってサービスボックス中央が基本立ち位置で、それでも内側のつもりだったが、見かねたななコが「もう一歩、中」と言った。
「違う。もうちょっと、そう、そこ」
構える。再開一発目、ななコの打球はストレートに抜けた。
すごい笑ってる。私はあの男が本当に嫌いだ。
新妻「じゃじゃ虎(呼びやすいから『じゃじゃこ』にした。じゃがコとななコを足したみたいで何だか強そう)」がようやく馴染んだ。前にも書いた通り、同じ重量でもヘッドに重みがある分、軽く打っても力が出やすい。多少振り出しが遅れがちだが、狙う場所を調整することで修正可能。あと勝手にスピンがかかるためコートの収まりが良く、良質なロブを打ちやすい。
何より打感が気持ちいい。私の愛用しているメーカーは打感が柔らかく、ボールを掴む感じがとてもクリア。だからいつまでも打っていたくなる。そう。
何度でも言うが私がしたいのはラリーだ。ただ、その中でも好みがある。いつの間にか舌の肥えた私は、より上質なものでなければ満足できなくなってしまった。
実はここ数日、本気でテニス自体を辞めようか悩んでいた。
それは「贅沢を覚えた自分にとって、好みの相手が少ないこと、それによって自我の暴走を制御できなくなりつつあるため」だ。最近分かったことだが、人が場面に応じて己を変化させるように、私にも大きく分けて二つの顔がある。
女の皮を被った野郎「大人の男」と、感情のままに振る舞う「推定5歳の少女」
完全にどちらかに寄るというよりは、その場その場でコロコロ切り替わり、だから見る顔によって「すみっこぐら●のキャラクターみたい」と言う人もいれば、「怖い」と言う人もいる。
自我の暴走とは「女の皮を被った野郎」が「(ロブならまだしも)力ないボールをただ上げるだけなら初級行ってシングルスやってろや」と憤り、5歳女児が「アイツと打つの嫌あ」と喚いている状態を指す。
テニスは相反する顔をいくつか持っていて、よく例に挙げる「ラリーがしたい」と「勝負がしたい」同様、「楽しむためのテニス」と「勝つためのテニス」という括りもある。こちらも根っこでは繋がっているに違いないが、そういえばいつだったかi野コーチが過去に「勝ち負けにこだわるのもアリ、そんなことよりやりたいことに全力投球もアリ」と言っていた。
フェデラーやナダルがバチボコ打っているように見えるのは7割の精度が高いからで、そこからさらに8や8.5に上げても制御できる域に達しているからなのだろう。「楽しむためのテニス」というのは、それに憧れた一般人が、力一杯打って決まった快感を追い求めるものであり、一方「勝つためのテニス」は7割のショットで駆け引きをするものを指す。これが慣れない内は非常にストレスで、いや別に試合出る訳じゃないんだから、パーンと打ってスカッとして「はいおつー」で帰るのが一番だと思う節もあるのだけれど、負けがこむのはやっぱりストレス。バランスが難しいのだ。
以前初めて中上級の見学に行った時のことを思い出す。
〈2年かかってやっとここまでスピードを落とせた所。最初すごかったんだよー。ホラ、みんな若いでしょ? 本気でバンバカ打ち合っちゃって〉
〈やっとじっくりラリーをするってことに慣れてきたみたい〉
あの時、我慢させることを「かせ」と言っていた。足枷。腑に落ちる。あの時言っていたことがようやく理解に至る。i野コーチは選択させたが、中上級は公式戦を想定したクラス。だからその「かせ」は必須。打てない訳じゃない。打たない。打たなくさせる。そっちじゃないと、バケモノ達の首輪を引く。
私も激しいジレンマの中、ただ上げただけの力ない打球を見つめる。
能動性皆無。どこまでも他力本願なキャッチオンリーの打球はこんなにもつまらない。
ただでさえはらわた煮えくり返っている私が、けれどそれ以上に頭にキていたのは、
テメエだけ楽しんでんじゃねえよ。
力ない打球を生産しているその人が、自分の味方前衛を晒し続けていることだった。
実際にやってみなければ分からない。常に駆け引きの最前線に立つ前衛は、相手の出方を伺う以上に、張らなければいけない。
丁か半か。
動けなくなったら味方が苦しむから、怖くても一歩踏み出さなければいけない。
そんな高い緊張感を持つ場所の傍ら、ただ上げただけの力ない打球は相手を苦しめることもない。余裕のある相手の出方を待つだけの展開だから、味方であるはずの前衛は下手に動けない。それは何より能動を奪い、テンションを下げる。加えて、変化させてくる相手によって、揺さぶりからうまくキャッチできなかった打球が、相手にとってチャンスボールになると、ストレスを溜めた後衛に味方前衛が狙われる。それは終始たった一人の満足がためのテニス。
一貫して言えるのは、この種のプレイヤーは前衛ができない。何故なら張る度胸がないから。そうか。前に引っ張り出して顔面狙えばよかったのか。私自身こういう思考になるから辞めた方がいいと思うに至った。常日頃敬意にこだわるのは、見下したくないからだ。醜い自分を晒すことで、周りに不快な思いをさせたくないからだ。
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