見出し画像

【1、売れない本(独り言多めの読書感想文、村山由佳さん『二人キリ』)】



 自身の実体験をもとに作品を生み出すとしている作者は、確かにその作品を読めば自己紹介が済むように思う。村山由佳さんの作品に初めて出会ったのは高校一年生。当時は「10歳近く年上の女性に恋をする」設定の『エンジェルスエッグ』はじめ、『もう一度デジャヴ』『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズといった作品が印象的だった。「純愛もの」として瑞々しい感性と共に世に放たれてきた作品ひとつひとつが私にとっての宝物で、何度も読み返しては新作が出るのを待ち侘びた。あれから数年。
 
 私の友人も言っていた「キレイすぎる」を声として寄せられたのかもしれない。作家として新たな境地を開くため、一転、官能に走った。走ったのみならず、結果を残すのがプロ。先駆けとなった『ダブルファンタジー』は中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞し、処女作『エンジェルスエッグ』と並んで世に認められる代表作となった。異色の2作品を金字塔に掲げるというのは凄まじい快挙であり、作家としての幅広さ、可動域を改めて思い知らされる。
ただ、個人的な好みとしてはこの頃から少しずつずれ始めた。
『ありふれた愛じゃない』。私自身、作品の舞台となった地を新婚旅行に選ぶあたり、I型人間の本領発揮、というか「旦那によるありふれた愛じゃないからなせる業」だとして、この作品だって表面だけ撫でれば「今一緒にいる人ではなく、昔ワケあって別れた元彼と再会して結局そっちとヨリを戻す」というものだった。ここがギリだったように思う。
 
 あとはもう「モラハラ夫に苦しんでいるところ、ふいに出会ったイイ男とイイ関係になってそっちに行く」パターンか「最終イイ男に捨てられても一人でも強く生きていくわ」パターン。いつかのように作品自体宝物扱いすることもなく、ライン作業のように「購入してブックオフ」ルートが、これまた最近のお決まりのパターンになりつつあった。
 たぶん思ったと思うから先言っとくね。「なら何で買う」
 購入する段階で金銭のやり取りは発生する。売ったとて端金。じゃあ何で。

 答えは「何で」なんてそもそも思わないから。朝起きて顔洗うのと、食後に歯磨きするのと同じ。そこに新作があったから。習慣ってのは怖いね。無意識なんだから。無意識ってのは怖いね。もはや洗脳だから。
 残念ながら女は一番イイ男しか愛せないようにできてる。いくつになってもたぶんこの思想は変わらなくて、運が良かったとすれば私にとってそれがずっと旦那であり続けていること。
 
 で、今回購入した作品は『二人キリ』。「愛した男を殺し、局部を持ち去ったとして世間を賑わせた阿部定事件」を取り上げたもので、これまた振り切ったねーと思いながら連れ帰った。もう売ること前提でドッグイヤーはせず、気になる文言だけ画像に記録して読み切る。さて、とメルカリを開くと、すでに三冊ほど同作品が並んでいた。常なら作品状態と価格を比較検討するところ。
 けれど、何故だろう。次の瞬間ブワッと視界が滲んだ。突然のことに自分が驚く。身体が勝手に拒絶したのだ。

かつて愛した女性の子供を確保して国に連れ帰る事を拒む劉氏(テラフォーマーズ17巻より)



 ダメだ、と思った。売れない売りたくない程大切な作品かといえばそうではなく、だからいずれ手放す時が来る可能性の方が高いとして、けれど。
 
 読み切って圧倒された、その感覚だけはまだ大きく脈打っていて、その感性が、鮮血が、そうじゃねえだろと身体を律した。
 この一作を書き切るために当たった文献。読み込み、抜き出し、己の作品に組み込み、費やした時間は一体全体如何程か。加えて、事件の近くにいた人物の視点で物語を進めるには相応の覚悟がいる。それは作品内でも語られていて、ある事実を個人が切り取る、実際にあったことを取り上げるには細心の注意、それに圧倒的敬意が必要になる。「それ」は信用を持って確立される。正しく積み上げられれば価値を生む一方、容易くゴシップに成り下がりもする。奇特な人もいるものだ、と線引きさせるか、いやちょっと分かる気もすると内側に取り込むかの境。
 阿部定事件自体、耳を疑うような事件だったからこそ、注目を集め、金回りが発生したに違いない。上から目線の好奇に満ちた感情のエサとなった、この作品はそんなエサ側の視点に寄った物語。笑いながら線引きする人を内側に引き摺り込む前提で、身を削るようにして作られた物語で、今いる足元に戻ってみれば、その価値を自ら落として換金するお前何様という話である。
 
 確かに対価は支払った。けれどその作品の本当の価値を分かる人ばかりではない。好奇の目で買ったとて、最後まで読み切れるか。小冊子ならまだしも、500P弱の、当時の生活、背景まで丁寧に切り取った作品に、まっこと「入る」だけの思いを持てるか。否。
 少し読んでスマホの通知に気づいてそこから放置されたか、速読とか言って内容だけパーっと目を通して「ハイOK」とスムージーの如く流し込まれた結果売りに出されたのが、定価の半値をつけた面々に違いないと個人的に思っている。
 
 いずれにしても、この「重さ」に付けられた価格は適正かと思う。確かに500Pに満たない。けれど私はこの1、5倍の値が付いていたとしても買っていた。そのものの価値ってのは、分かる人間にしか分からない。だから骨董品にどえらい値段がつく訳だが、こればかりは良い読者に恵まれるしかない。良い? のか、波長が合うのか、思考が近しいのか、理解し得るのか、まあ何でもいい。
 一つだけ言えることは、私が筋金入りの村山由佳さんのファンであり、同じことでも言う人によって聞く聞かないが発生するように、こと私にとって彼女の言葉だから通じた。このこと自体、今までの蓄積や彼女に習って書き続けてきた文章自体が、能動的に円滑油の役割を果たしたためで、結果彼女は自分で自分にバフをかけ続け、私はそこに洗濯機よろしく巻き込まれている状態。自ら飛び込んでキレイになって出てくる。まるでお利口な犬みたい。あ、コレやっぱ洗脳だわ(冷静)
 
 だから売れないと思った。これはダメだ、と。この作品の価値を正しく理解できる人はたぶんそう多くない。いや、母数でかいから決してそんなことないんだけど。とにかく感情に言葉が追いつかず、つんのめるようにして舌ったらずが喋るような感覚に腱鞘炎を覚えながら、今回もまたお喋り始めます。
 
 
 

 
 




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?