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【2、勘違いと書いてスペードの3と読む】(独り言多めの読書感想文、朝井リョウさん『スペードの3』)



 配られた手札の中にスペードの3を見つけた時の心理が、そのままその人の視野の広さを表す。客観視は基本できない。できるのは実際にその立場をやってみて得られる一感想であり、それさえ同一ではない。けれど想像することはできる。その想像の中、あなたにとってのその人はきちんと意思を持っているか。ここに「その差」は出る。
 自分がある、芯があるというのはいいことだ。けれど一方でそれを我の強さと言い換えると、途端危うさを孕む。自分を肥大化させることは、その分相手への配慮が疎かになる傾向にある。
 相対。人の枠は大きくも小さくもならない。100ある中で自己が80を占めれば相手は20。8割の想像から生み出された相手は、2割のヒントから得られた虚像。当然現実と噛み合うはずがない。言いたいのは「相手はあなたが思うほど愚かではない」。さて。


 学校における学級委員というのは、構造としてクラスメイトの上に立つ。美知代は〈みんな、この教室の中で起きていることはすべて、美知代に聞いてきた。美知代はそのすべてに答えることができた〉

 学級委員である美知代は、授業中話をする生徒を注意し、合唱コンクールではピアノを弾き、理科の実験では進行役を引き受けた。だから「その感覚」はつくべくしてついたのだろう。
 すなわち自分は「特別」であって、他のみんなとは違う、という感覚。いつだって「評価する側」にいると思っていた。自分には常に二人のとりまきがいて、クラスで浮きがちな子を配慮しながら、模範生である自分を、理想の自分を生きていた。
 だから配られた手札の中にスペードの3を見つけた時、しめたと喜んだ。その様は、ある種極めて純粋とも言える。美知代は我が強かった。行動の全ては自分の心地よさに結びつけるためのものだった。
 人の枠は大きくも小さくもならない。100ある中で自己が80を占めれば相手は20。対象が複数人いた時、その人達で小さなπを分け合う。個々に意思があることなど、まさか想像もつかない。


 紀元前含め積み上げた歴史、実に3000年。人類が今尚こうして地表面を覆うようにして蔓延っていられるのは、脳の大きさ、知恵がためではない。最初に述べたように結局は集団で協力し合ってきたからに違いない。多数を生かすことで生き延びてきた。
 種としての強みを「集団という性質」とした時、じゃあ何が見えるか。個々に持つ意思。基本的に人間は言葉でやり取りする。けれど一方で言葉が生まれたのは音としての歌よりもずっと後。個々に持つ意思。それは必ずしも言葉を介す訳ではない。言葉は氷山の一角。そこに根付くは同質の感情。

 目配せ。目配せ。

 人は波立つことを嫌う。心地よい場所にいたがる。

 目配せ。目配せ。

 時と場合によって気付かぬ目もあるだろう。内側にいるようでいて、何層にも渡るそれはそれぞれあったりなかったり。

 目配せ。目配せ。

 人は、だから目の合う人を大事にする。
 意思の疎通が可能な人を選ぶ。互いに。互いに。
 時と場合によって合う目が変わることもあるだろう。大事なのは一人にならないこと。一人にしないこと。例え一時一人になっても、一人にしてはいけないと思わせるだけの関係を持っておくこと。

 弱い者ほど群れる。その通りだ。けれども群れることができた者ほど生存率が高いこともまた否定できない。弱くとも意思はある。「人はあなたが思うほど愚かではない」
 人は人の上に人をつくらず。美知代はクラスメイトの上に立っているつもりでいた。自分は「特別」だと思っていた。自分は「評価する側」だと思っていた。例え立場としてやむなく立っていたとしても、思いはにじむ。それは言葉に限らず、むしろ言葉にしないところからこそ香る。

 この人は自分のことをどう思っているか。それは明確に「視える」

 目が合う。互いに害がないことを認識して笑い合う。これが目配せ。それを見ていた者が、別の場所で発生した目配せが、目配せ同士が繋がる。大事なのは目を合わせること。人は目が合う人を大事にする。意思疎通が可能な人を認める。根本的に寂しがりだから、自分が弱いと知っているから、机の下でそうっと手を繋ぐ。
 それに最後まで気付かなかったのが美知代であり、己の心地よさだけを優先してきた結果、一人になっても一人にしてはいけないと思わせるだけの関係を持てなかった。とりまき二人はカンタンにその手を離した。その様をむつみは見ていた。スペードの3の本当の使い方を知らない美知代を、同じ枠の外から静かに見つめていた。

 実際にその場をやってみて得られる一感想を共有したのは、結果的にむつみただ一人だった。分かっていた。美知代にとっての「それ」が例え自分の評価を上げるための行動だったとしても、むつみが一人にならずに済んだのは美知代のおかげで、そこから生まれた感情は感謝とか恩返しとかいうキレイなものではないこと。
「借りを返す」。それはあくまでフラットに、上下ではなく同じ高さに立った行動。

 美知代にとってのむつみが最弱だろうと、最弱な自分と向き合うことができたのは、認めることができたのはむつみのおかげに他ならない。
 弱い者同士が手を繋ぐ。手を繋ぐ。そう。

 大事なのは、頭にスペードがつくだけで一人だけ特別になった気にならないこと。
 スペードの3の本当の使い方は、まず己を最弱だと認めること。そうして潔く他のカードに力を借りて、最後の最後に集団で現れること。3人いれば、まあ固い。

 どうだ。気味が悪いだろう。







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