【(5/8)3、春の姫(独り言多めの読書感想文、村木嵐さん『天下取』)】
見上げる。高く雲雀が鳴いている。〈鳥好きに悪い者はおらぬ〉とした夫、氏政の笑顔が浮かぶ。眩しいばかりの、あたたかいばかりの世界で、理想のまま生きられたならどんなに良かっただろう。
雪深い故郷から嫁いできた春姫は夢を見る。詰まる思いは出先を持たない。そうして十二分に夢を見させてもらったと、ただ一人現実にかえる。
本当のことを話せたらどんなに楽だっただろう。楽、というより、どんなに心救われただろう。生きる上で、社会に対していくらでも顔をつくることはできる。けれども真実繋がっていたいと思う相手にだけは、本当のことを話しておきたい。理解を望むこと。自分にとっての相手と相手にとっての自分、その差異だけは可能な限りゼロに近づけておきたい。それならどっちに偏ることなく等しく負荷を負い、等しく安らげる。例えどんなに離れようと、通じることができる。戻ってくることができる。例えば雲雀の鳴くような、うららかな春の国へ。
3本目『春の国』。いやもう涙止まんない。もう速水のライフはゼロだからやめて欲しい。悲しいのにやさしい。どうしようもない現実に、けれど最後に希望を見出す。明るい未来を予感させる幕引きに「ああああよかったああああ」と心底安堵したのは、何も私だけじゃないはず。まいつぶってる読者の大半が同じ事態に陥っていると思える。
いや今回すごいよ。『阿茶』の時も思ったけど、この作者恋の描き方が上手い。糖分量が絶妙というか、ちゃんと甘くてちゃんと苦い。この前の『残る幸』超すげえって言ったばっかでアレなんだけど、この短編集の中で一番好きなのはぶっちぎりでコレ。とにかく読了感が爽やかで、あーいい時間過ごしたわーって思わず天を仰ぐ。たった44Pで得られる満足感として、だからコスパ半端ない。コスパとか「消化する感」出ちゃってイヤなんだけど、これから読むか迷っている人にとっては大事な情報に違いないから、あえてそういう言い方をさせてもらうね。
主人公は甲斐の姫、信玄の長女春姫。三家の仲のため、小田原にある北条家に嫁ぐところから話が始まる。頼りにできるのが誰もいないという不安も始めばかり、義父母に、夫に恵まれて幸せに暮らす。特に義父である氏康は、娘康姫を今川家に嫁がせたこともあり、春姫を大事にすることで今川で康姫が大事にされていることを祈願していた。
とても好いた。だからその人の重きを置くことが分かる。そのために自分がどう在るべきかも。父信玄が約束を反故にすることで波立つ。甲斐の姫としての自分。己が父のために、好いた人たちが傷ついていく。
そんな時、ふと義母の瑞渓院の話を思い出す。嫁いできたばかりの頃、氏政が話してくれたものだ。氏政の幼い頃、今川の出である瑞渓院の兄義元によって、北条家はいっとき滅亡の間際まで行った。その時瑞渓院は〈──妾は今川へは帰らぬ!〉と宣言したという。
脇差を握った右手をすっと高く掲げ、刃を氏政の背に当てると、〈大切な世継ぎを殺されとうなければ早う妾の里など踏み潰してまいれ!〉と恫喝し、家士たちは転がるようにして広間を出ていった。その話をした時、氏政は、そうして自分たちさえ離れなければ大丈夫だとした。最低限ここだけは守られていればと、笑って言った。
見上げる。高く雲雀が鳴いている。恵まれた気候に限った話ではなく、本当に春の国だと思った。やさしく、あたたかく、心から安らげる。だから。
春姫は分かった。心底留まりたくとも、瑞渓院のように「自分はここを動かぬ」としたら、その時初めて日の元に晒される義父の罪がある。だから自分がどうするべきか。
氏政に、最愛の夫に背く。結果的にそれが氏政にとっても最善だと分かったから。
春姫は知り過ぎた。全てを知らせたいと思うほど、北条の家に好かれ過ぎた。そうしてやさし過ぎた。人の心を重んじ過ぎた。己より大切にしたいと思える人に出逢い過ぎた。
後に事情を知る瑞渓院は春姫のことを〈「まことに名そのままの、春の日差しのような姫であったの」〉とした。そうして全ての事情を聞いた氏政は〈「それがしは考え違いをしておりました。お春を捨ててまで守った家じゃ、あのときですら意地を張って下げなかった頭を、秀吉ごときに下げられるものかと」〉と考え方を変える。そのために北条の家は滅亡を免れ、結果的に春姫は義父を傷つけることなく、北条家を守った。
特筆すべきはこの作品のラスト。こんな悲劇を二度と繰り返さぬよう、氏政は子、氏直に諭す。元の正しいルートに、うららかな春の色に戻す。やめよう。
この先は是非本編をお読み下さい。