お願いだから、ふってよ。
体温に限りなく近い空気は粘度が高い。温度の上昇に比例するにおいの濃度。アスファルトの構成物、そこからでも葉を伸ばす植物までもが、まるで体臭の如く香っていた。
恋人と休日の朝を迎えた時、感じる空気で雨だと分かるとひどく安心したことをふと思い出す。体温と、気温と、湿度とがぴたりと重なって、自分も今いる世界にちゃんと溶け込めていると思った。空腹と尿意に耐え切れなくなる限界まで、そんな堂々と息のできる存在でいたかった。
土砂降りと霧雨と鬱蒼とした曇りと突然思い出したかのように覗く晴れ間。一日の中でも行ったり来たりする「きしょう」は彼女そのもの。
〈なあ〉
SNSに残るプロフィールは23歳のまま。耳元に蘇る関西弁。
雨でよかったと思う。あの子に晴天は似合わない。もっと大人びていて、でも影からずっと求めていて。かと思えば唐突にいらないって言うクセに、後から激しく後悔する。
だからね、ホルモンバランスっていうものがあってだね、絶好調な時に決断しちゃいけないの。どうしようもなく弱気になった時、それでも不要と思ったものだけちゃんと捨てなきゃ。すぐ衝動で動いちゃうんだから。
見上げる。
今日は大雨だって聞いていた。午前も午後も土砂降りだって。ついさっきまで出ていた晴れ間は、再びグラデーション。アハ体験ばりに、気づいたら重めの暗雲が向かいのお家に肘をついて見下ろしている。上がる湿度。甲高い声で鳴き続けるはキジバトか。
ふればいいのに、と思った。
いっそのことちゃんと。
何迷ってんだよ、と。テメェがかわいさ故だろう、と。
結局目の前にいても、ちゃんと心まで一緒にいたのはどれだけだったんだろう。
黒い二つ折の携帯を開いたり閉じたり。相手が期待なんかさせるから希望に縋ってしまう。そんな彼女の弱さが愛おしかった。
〈ごめん、いくわ〉
せんぱい? と聞くと、困ったように笑った。
私の振りかざす正義は、所詮虚構に過ぎない。ウソはついてはいけませんと教わって「何故なら」ではなく「そう教わったから」というように、何の背骨も持たない論理は、個人の今ある情状を酌量する余地あるなしを判断できない。バカの一つ覚えしか言えないなら黙っていた方がマシだった。
本当はどうでもよかった。「せんぱい」に彼女がいようと、その彼女がどう思おうと。あの子が傷つかなければ、後は本当にどうでもよかった。
寂しい、という言葉一つで表せる思いだったとしたら、浮気も不倫も社会的孤立による孤独も、全てもう少しマシな形で成仏させることができた気がする。言葉にできない部分が大き過ぎて、その重みに耐え切れず落ちたのがその人の腕の中だったなら。いいじゃん。何てステキだろう。
自分の気持ちを優先して人を傷つけちゃいけないよね。結局のところ、その根っこは「生産活動を営む社会を穏便に保つため」個人にとって狂いそうな想いは「ああ、私もそれ経験したことあるけど、我慢してやり過ごしたんだから、あなたも我慢してね」でならされる。十人十色育ってきた環境も、立場も違うワケで、その人にとっての相手がどれだけの影響力を持つかなんて、当然一本の物差しだけでは測れないものなのに。
正しいとは思わない。でも、正しくないけれど、死んじゃうよりはマシだと思う。
誰かにとってのド悪女は、私にとっては親友だった。ただそれだけのこと。別に特別な設定ではない。
〈早く働きたい。人並みに自立したい〉
〈心配かけている人たちへ。もうちょっと待っててね〉
〈自殺の方法も職業柄いっぱい聞いたけど、まだまだ私は生きなくっちゃ。笑って生活しなくっちゃ。私を愛してくれる人を泣かせるわけにはいかないんだぜ〉(本人SNSより)
文体にこそ、どうしようもなく人柄は出る。それは「カタカナを使う人」とか「『つまり』や『要するに』をよく使う人」とかいう括りじゃなくて、その人の選んだ表現、選ばなかった表現。残した言葉、飲み込んだ言葉、句読点の打ち方。そうしてそれは、どうすれば相手に「今の自分と限りなく近しい温度の音を届けられるか」試行錯誤した結果。
mixiだった。あの頃はイイネ!がなくて、たまにワッとコメント欄がお祭り状態になることはあっても、大抵私の空間は静かで、そんな時よく彼女は言葉をくれた。そうして共通のお題を次々回す「バトン」を、彼女はいつも私に寄越した。その括りはいつだって「やさしい人」で、いらないって言ってるのに、受け取らなくていいからと結局押し付けるようにして寄越し続けた。
身体が言うことをきかなくて、働けなくなって「社会的に迷惑をかけ」て、妻子ある人を心の拠り所にして「大切な人の家族にも迷惑をかけ」て、加えてパチンコ、酒、タバコ、男、逆に何の手本だよと思うような「やっちゃダメだよ」な面々に囲まれて。でも少なくとも大学4年間で最も彼女の近くにいたのは私だった。食堂で一緒にラーメン啜ってたのも、「今日のピリ辛キツいわぁ」と二人で箱ティッシュなくなる位泣いたのも、学祭のバンドを少し離れたベンチで並んで眺めたのも、そこに置かれていたマルボロが緑だったのも、全部私の見ていたものだ。あれからもう10年以上経つのか。
ホラ、またふらない。
天気予報、全然当たらないじゃないか。
ふってよ。そうすれば彼女は解放された。
ふってよ。じゃないと、安心して泣けない。
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