気軽に読書感想文(和田秀樹さん『80歳の壁』)
いつかはできなくなる。
有限だからこそ発生する価値があって。
老いをテーマに、受け入れることのススメを記述した『80歳の壁』
その一部を抜き取って感想文してみる。
1、 人は思っていた以上に強いということ
〈例えば「臭くてたまらない」という家に行くと、足の踏み場もないほど散らかっています。ほとんどがコンビニの空箱。おそらくずっとお風呂にも入っていないことがわかります〉
しかし
〈毎日、五百円玉か千円札かを握ってコンビニに行き、お弁当を買って食べる。そうやって、お腹も壊さずに生きている。自炊ができなくても、片付けができなくても、お風呂に入らなくても、生きている〉
認知症になったら何もできなくなる訳ではなく、最期まで生きる力、生き抜く知恵が備わっていて、別に〈認知症はある種「子ども返り」のようなところがあり、ボケてからのほうが死が怖くなる〉とも記されている。ここから「本人は最期の最期まで人として生きているのだけれど、周りがそれを受け入れない、認めない」というスタンスが浮き彫りになる。
「社会性」「生産性」
決まった動きを決まった速さでしてくれれば狂いはない。つまりクレームは生まない。けれども人は機械じゃない。人が機械に合わせるようになったところで、一体誰にやさしい世界になるのだろう。救える命を増やすことと目の前の人を大事にすることは全くもって別問題だ。
しょうがないよ。酸化するんだから。臭くもなるよ
しょうがないよ。めんどくさいんだから。お風呂に入りたくない時もあるよ。
いいじゃん。お腹空いてコンビニ行けばごはん食べられるんだから。
いいじゃん。あなた自身のために生きれば。その我慢、一体誰のためにしてるの。
なんてことは、別に年代区切らなくても私だってある。その先に得たいものがあるなら別だけれど、そうじゃなきゃしなくていい我慢は極力しなくていいと思う。人は思う以上に強いし、「しょうもな」と受け入れてくれる人も案外いる。
根本的に人は「ずる」くて「弱」いから、むしろ愛着さえ湧きかねない。
2、 おむつを味方にする。
〈排泄の問題に悩む人もいるでしょう。でもこれは「仕方がない」と割り切るしかないと思います。だって排泄のために生きているわけではありませんから〉
だって排泄のために生きているわけではありませんから。
個人的には「みつを」もタジタジの名言だと思う。頭に「SAY」をつけてもう一回言いたいくらいだ。
そうしてこれは何も「排泄」に限った話ではない。「仕事」でも「育児」でも「家族」でも、自分にとって大事なこと、最も心動かすもの。そのために生きる。そのためにお金を稼いで、時間を捻出して、都合をつける。だって排泄のために生きているわけではありませんから。
だからおむつを味方につけて、できないことに悩むより、できることに集中できる環境を整える。なるほど遥かに建設的で幸福度が高い。
どうしてもある時を境にできないことが増えていく。それとどう折り合いをつけるか。どう幸せに生きるか。
考え方一つでその人の表情が変わる。表情が変われば周りの人の表情も変わる。良くも悪くも影響してしまう。だからこそ、どうやって楽しむかは何を差し置いてもまず向き合わなければいけないことなのだろう。その方がきっと考えなしに始めるより満足度が高い。
目的は目的地に辿り着くこと。だからできるうちにやる。おむつを履こうが、できるなら支障はない。むしろそんな瑣末なことに構っている程ヒマじゃない。時間は有限なのだ。