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それでもここにいさせて
恋の美しさは、他の一切を寄せ付けない一種の無敵状態から来る。一瞬の煌めき。その様子はさながら流れ星。
けれどもだから永遠ではない。恋とは終わりを想定するものであり、うまく変化できなければ酸化して容赦なく傷み出す。徐々に徐々に膿んでいく。それでも一番に代えはきかない。そんな患部を持ってしても失いたくない。そんな想いが、消えない。
今期ドラマ『未来への10カウント』で印象に残ったシーンがあったので書き残す。元々試合経験さえなかった弱小ボクシング部に、唯一の経験者として転校してきた西条。高校一年生であるにも関わらず先輩にタメ口をきくような男が、なんだかんだようやくチームメイトに馴染み始めた頃、その脳に3mm程度の動脈瘤が見つかる。数日後の検査で瘤自体は大きくなっていないと聞かされるも、変わらず激しい運動は禁止だという。
その時の西条の言葉。
〈なんで俺なんや。なんで〉
高校一年生の段階で実際にリングに上がって戦えるだけのものを積んで来ていた。それは遡れば、例えば走ったり筋トレしたり、本来やりたくないこともボクシングのためならとやってきたということであり、その本体を根こそぎ奪われたら。
〈あんなん、女の子とチャラチャラしてるだけやん〉
思い切って別の部活に入ろうと、どうにか想いの形を変えようとしても、それは容易に変わるものではない。
例えば「コートとポーチ」と聞いた時、シャネルのクリスマスギフトではなく、緑の人工芝で味方前衛がボレーを決める背中を連想するように、それはその人にこそ根付くもの。
私自身、去年の秋口から冬にかけて約3ヶ月、右腕を真横に上げられない時期があった。前後には動く。テニスをすること自体に支障はない。けれども肩を中心にかかり続ける負荷は、いつかテニスをするための動きに作用するんじゃないかと思うと不安でならなかった。ネットで病状から鍵盤断裂という単語にたどり着いた時、背筋が凍った。爪が折れるのとは違う。骨折とも違う。それはもう二度と戻らない、絶対の一方通行。テニスは。
「テニスはしてもいいんでしょうか?」
炎症の最も強かった時、消え入るような声で医者にそう尋ねた。ひどく指先が痺れていたのを今でも覚えている。脳みそは大きなものを受け入れることになるかも知れないと自主的に容量を空けて、真空の静寂をつくった。結果的に「イイヨ。切れたらまたつなげばいい」という返事をもらえたが、それでも恐怖を象徴するような指先の痺れはしつこく残り続けた。
はたして「ボクシングの競技人口分のイチ」と「この病気にかかる人数分のイチ」の割合にどの位の差異があるのだろう。それは恋が叶う人と恋を失う人の比率として、せめて近しいものなのだろうか。近しいならまだいい。けれどもしこの病気に罹る人の割合の方がずっとずっと少ないのだとしたら。
〈なんで俺なんや。なんで〉
それはボディブローのようにじわりじわりと効いてくる。いくらでもいるじゃないか。運動部に属さないヤツ、そうでなくても単にやらされてるだけのヤツ。
どうして自分だったんだ。
それはその人自身が努力してきたからこそ発生するコントラスト。だから失って再び立ち上がろうとする様はドラマになる。一瞬の恋を描く。西条はスパーリングパートナーとしてコーチのサポートをすると言った。今はいい。けれど今後、彼の現役を知らない相手に、名を残していない彼が同じようにやっていけるのか。コーチという立場を見据えるなら尚更、その辺の展望も最終回で見られるといい。
ミットに打ちつける音。
視界に入るリング。
汗臭い、熱のこもった室内。全て。
己に何ができるか。資格はなくとも何かできることはないのか。
頼むからここにいさせてくれよ。
それは、あるいは非競技者よりも遠い場所から願うこと。それでも好きなんだ。代えがきかないんだと。
無敵の時間はいつかは終わる。誰だっていつかは流れ星のような煌めきを失った、ただの自分に戻る。そうして見上げる。その姿はきっとみじめで、けれどもひたむきに見つめる眼差しだけは変わらなくて。自ら手放さない以上、終われなくて。
執着とは似て非なる。もっと自分の欲だけでは済まない、神聖な何か。そこに発生するのは、ただ自分の身体一つに収め切れない敬意。喜びを発露するように、悲しみに涙するように、この小さな枠に収まりきらない、ただの感謝。
あなたが好き、以上に
あなたに出会えてよかった。
みじめでみっともなくても、それでも恥も外聞も捨ててまで足掻こうと思える程の感情を知れた。
ミットに打ちつける音。
視界に入るリング。
汗臭い、熱のこもった室内。全て。
自分には過ぎた、一つの世界。
あるいはどこかありきたりな一場面かもしれない。でも「今見る」のと「見たことがある」では感じ方が違う。スラムダンクを今読み返して、あの頃とは全く別の物語に思えるように。
若いからできること。逆に若いから気づけなかったこと。
そんなことをひしひしと感じた大人女子(笑)なのでした。