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【3、おみくじにお前のオールを任せるな(独り言多めの読書感想文、村木嵐さん『またうど』)】


 運の良し悪しは何をもって生まれるか。
作中「強運」という言葉が何度か出てくる。例を挙げよう。
 
〈我らは強運じゃ。あれほど万事に開明の後老中に差配していただいておるとは〉
〈(意次がやってきたあの晩に)不寝番を務めた己ほど強運の者があるだろうか〉
 他にも直接書かれていずとも、強運のニュアンスを含んだ言葉もあるので合わせて紹介する。
〈私はこの世に生まれて、会わねばならぬ御方には会うたな〉
〈それがしは家治様の下で思う存分、働かせていただきました〉
 
 では運の良し悪しは何をもって生まれるか。
 それは氷山の一角の水中にある部分による。「分かれ目」は誰にでも訪れる。ただその分かれ目はいつ訪れるか分からない。だから大事なのは「普段」。目に見える部分だけ磨く者と、物事の本質を探り、見極めた上で適切な動きをする者。深度。同じ事象にぶつかった時「どう捉えるか」という観点。
 悲観主義を自然なもの、楽観主義を意思的なものと大別した時、意思的に捉えられるようになるためにはそこに根拠となる思想が必要になる。その人だけが持つ哲学。それは必ずしも事象によらない。同じことが起きても気にも留めない人がいる一方、逆にいつまでもグチグチ言っている人もいる。そうして口にした言葉に人はなる。 
 見られ方だけじゃない。何を言われたかだけじゃない。自分が口にする言葉こそ、他の誰より己に近い。言葉は分身。だから口が悪い人はまずもって運が悪い。逆に意識的にもいいとされることを口にしている人は何故か運がいい。そうして心地いいところに人が集まるように、勝手に人が集まる。人が集まると社会ができる。互いの不足を補い合えるのだ。
 はさみとのりとペン。ああ、戦隊モノが分かりやすい。赤と橙じゃなんだか弱そうだけど、そこに青や緑やピンクや黒が入るとなんだか強そうに見える。単体で狙われたところで、近くに発動条件備えたスナイパーがいたら迂闊に攻撃できない。最弱が最悪の引き金持ってる可能性は『のぼうの城』で成田長親を例に挙げた通り。
 
 物事の道理を見極め、行動指針を決定し、夢中になる。楽しいと思える瞬間が増えれば自ずと表情に出る。ベースが上がることで口を注ぐ言葉が弾む。
 起点は何より自分を大切にすること。ご自愛というやつだ。お腹いっぱいであったかいお布団でぐっすり眠る。これがきちんとできさえいれば、口にする言葉はたぶん変わる。そうして言葉が変われば捉え方が変わる。人が変わる。近くにいる人もまた変わる。
 

 
〈我らは強運じゃ。アレほど万事に開明の後老中に差配していただいておるとは〉
〈(意次がやってきたあの晩に)不寝番を務めた己ほど強運の者があるだろうか〉
〈私はこの世に生まれて会わねばならぬ御方には会うたな〉
〈それがしは家治様の下で思う存分、働かせていただきました〉
 
 共通するのは氷山の一角、その水面下の努力。常日頃からの心がけがあったためにチャンスをものにできたこと。この時代における親、生まれ順以外、後天的な運の良し悪しは能動的に作れる。
 そうして自分は運がいいと思えるようになったら、それは自己肯定にも通じる気がして。






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