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【1、老いて尚、女(独り言多めの映画感想文、『海の沈黙』)】



 老いる女と老いない女がいる。違うな。正確に言うと、老いを受け入れられる女と受け入れられない女がいる。この差は一体何なのか。
 例えば自分の枠を超えた存在と並び立った時、不足の差分をどう捉えるか。ある人はただ頼もしいとしなだれかかり、ある人は必死でその差を埋めるために動いたとした時、明確な差は主体性の有無。切り開いてもらってきたか、自ら切り開いたか。
 だから同じ「別れ」という結末が訪れた時、動き方が変わる。一人は若い女への嫉妬に狂い、鬼の顔をした蛇に変わり、一人は30年の時を経て尚、「あの頃」の顔をさせる女性のまま、再びその人生を歩き出す。
 
 主体性の有無。例えば求めるのが「かわいい」であったか「美しい」であったか。
 かわいいは他力、その多くは共通の要素。美しいは絶対の主観、言語化の難易度の高いもの。かわいい生き物は老いる。美しい生き物は老いない。いや、正確に言うと年齢によって失う価値を補うものがあるかないか。等価交換。結果失った分を得たものが上回った場合、その差分が「貫禄」となる。余裕というやつである。
 艶やかに笑う。パッと見60歳女の着物姿、その襟足にやけに色香が漂う。違和感。同じ空間に在って浮き立つ。誰もその存在を無視できない。それこそが本物。さて。
 
 作中2人、同年代の女性が出てくる。ともに60歳くらいなのだけれど、その明暗、対比が見事だった。依存と自立。妙齢の女が独立して生きていくことはたぶん、本当に難しい、パトロンも期待できなければ、最悪女として稼ぐこともできない。男性に劣る非力が、手に職一本で生きていくことの心細さ。
 依存と自立。仮に自活できない訳でなかったとしても、それが精神的な依存ありきだった場合、やはり立っていられない。周りに、分かりやすい対象に当たり散らそうと、それも一瞬。杖の役割を果たす訳ではないから、いずれ空っぽの自分と向き合うこととなる。
 依存と自立。逆におとなしく従っていれば何不自由なく暮らせても、離婚を望む女性もいる。手に職と言っても零細、元より金回りの期待できない芸術における技術は、けれども女の心を自由に向かわせるには充分な力を持つ。根拠は自信。自分のイメージしたものをイメージした通りに形にすることができる。正確な輪郭。その精度の高さは、自分を信じる力に比例する。女は、だから焦点の合った、己を貫く意思を持った立ち振る舞いをする。知らず、向き合う人全員が敬意をもって接する。
 
 人は一人では生きられない。だから助け合い、補い合う。けれど長い目で見たとき、助けた分の1、補った分の1が、最低限1として返ってこなければ、その関係は続かない。逆に1以上のものを返してくる相手との関係は何とか続けたいと思う。1以上。その差は敬意に変化する。向き合う人全員が敬意をもって接するというのは、だから1以上、1以上、1以上としたものであり、本来絶対の主観、個人の中のみで完結するはずだった感情が、謎に共有できる形になる。大切にされるものに生まれる共通の価値観、共有財産。その瞬間、その人は人ではなくなる。
 
 印象的なシーンがある。本木雅弘演じる画家の男が、学生時代の恋人に再会する場面。「今も絵を描いているの? 見せて」と言う60近い女性に「嫌です」と照れくさそうに笑う。必死で隠そうと漏れ出る想い。この感情、「恥じらい」の内訳。
 純粋な気恥ずかしさ。見られ方を気にしてしまう。ただ自分が好き勝手描いたものを、己の分身を、等身大の自分を、その人にだけは見られたくない。大きく見せたい。カッコつけたい。そんな思いを、その絵は許さない。からこその「嫌です」
 繰り返す。目の前にいるのは60近い、一般的な言い方をすればただのおばさん、おばあさん。けれども相対する男の表情は当時のまま。大好きな女性を前にして口籠もる、口下手で不器用な少年のまま。それが見えたのは女性の側が自立していたから。とうに女性として枯れようと、生き様は表情に、立ち振る舞いに現れる。憧れたままの人がそこにいたから、男は安心して少年に戻れた。
 
 主体性、例えば責任と言い換えた時、責任というのは大人の側に生ずる。人が一対一で向き合った時、必ず起こる役割分担。責任を負う側か負ってもらう側か。これを大人と子供と言い換えた時、子供に還してくれる人の持つ価値は如何程か。
 前提として男女問わず仲のいい関係だとした時、「その人」の枠の中で思いっきり好き勝手していいのだ。「飛行機が何で飛ぶか知ってるか? 滑走路が終わるから仕方なく飛ぶんだよ」と言うように、望まずとも大人になってしまった側からすると、これ程うれしいことはない。上がったテンションの分がすなわち依存度。自立を奪い、精神的な乱高下を起こしやすくなるが、酒と同様必要悪。
 逆に責任を負う側は、最悪相手がいようといまいと生活に大きな支障はない。これまで通り歩むだけ。けれども心のどこかで相手のことを羨ましく思う。夢中でいられる時ほど幸福度の高い瞬間はないと分かっているからこそ、足元がふらつこうと「そっち側」に憧れる。
 
 だから「少年に戻す」力のある女性が、男にとってどれ程の価値を持つかなんて言語化するまでもない。関係は男女ばかりじゃない。この人を前にカッコつけたいと思うか。背伸びしたいと思えるような相手か。続けたいと思える関係か。
 老いて尚、女。それはさながらアンティーク。
 張り合わない、別次元の美しさ。






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