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【4、序(独り言多めの読書感想文、村山由佳さん『二人キリ』)】



1、 時代、背景描写について
阿部定事件は昭和11年、5月18日に起きた。昭和11年といえば昭和一桁だった祖父の生まれや『春琴抄』の執筆された年に限りなく近しい。戦争という単語がオンタイムで出てくる時分であり、その写真は一様に白黒。
 地をかえ、名をかえ、流れるように生きていたお定の足取りを背景もろとも辿る。個人的には内へ内へ心理描写に特化していた『春琴抄』の背景としても楽しめた、この作品における世界観として特徴的なものをいくつか挙げてみようと思う。
 
・カストリ本:これは京極夏彦さんの作品で登場人物がその編集者という設定があった分、抵抗がなかった。大衆向けの安価な雑誌のことで、今で言う……いや、やめとこう。ググってくれ。
・縞の着物に牡丹柄の銘仙の羽織:まだ襦袢、褌時代。ただ軍服は軍服。
・昭和11年2月26日:いわゆる二、二六事件。陸軍における〈統制派〉と〈皇道派〉の皇道派が起こしたクーデター。結果的に失敗に終わり、統制派が軍事政権を手に入れることで一気に戦争に向かうきっかけとなった事件。まあ穏やかじゃなかったってこと。
・坂口安吾:『悪妻論』の人。ってかこの作品しか知らんが、強烈だったから覚えてる。別途後述する。ちなみに作中出てくる「谷崎」は谷崎潤一郎のことに違いない。
・アナーキー:現代のシドヴィシャスに手錠かけられるのはただあたしだけ
 
2、 表記について
さらにいえば当時の話し言葉表記も良い。
作中「文語体」という単語が出てくるが、対になるのは「口語体」。その類義語、言文一致体といえば『浮雲』になる訳だが、『二人キリ』は口語体で、ただし文語体然としたバックボーンがある。ギャップと言い換えてもいい。「おかたくて近寄りがたいと思っていた人が、しゃべってみると案外話しやすくて、でも素性は保証されてて」みたいな。よくできた乙女ゲーだなオイ。
 私が個人的に面白いと感じたのは「キャメラ」それに「キッス」。そこ「接吻」じゃないんだっていう。接吻は古いだか文語体扱いだか、でも「キス」まではいかない「キッス」。クッソうぶで(おそらく真ん中の「ッ」のせいで)発語するにも躊躇うような感じが非常にツボだった。動画だったら「キッスwwwwwwww」って流してたし、ほっといてもそれらしい弾幕できてたと思う。
 
3、 参考までのお定像
 これは単純に次に書くものの前提として。主にお定の周りにいる人たちから見たお定を掲載しておく。
 
〈どれもこれも嘘八百の出鱈目三昧、あろうことか吉さんはマゾであたしはサドだったとか〉
 
〈これまた不思議なんだが、定って女はああ見えて、馬鹿みてぇに生真面目なとこがあンだよ。上手に隠してりゃわからねえようなことでも、自分からつらつら喋っちまう。気が咎めて黙ってられねえんだ〉
 
〈義理堅いかと思えばあっけにとられるほど移り気で、淡白かと思えばとんでもなく情が濃い。長い付き合いになるが、いまだにあの女がよく掴めねえ。今抱いてても腕の中にいねえような、逃げ水みてぇな女なんだよ〉
 
〈……ええ、そうです。あの人には、なんし、そないなとこがありましてんわ。自分を娼妓に売った親にも、その世話を焼いた女衒の夫婦にも、いざ頼られてしもたら冷たくでけん。一肌も二肌も脱いで、できることの限界を超えてまで無理を、ちゅうか無茶をしてまう。
 尽くす女、と言うのんともちゃうように思いますわ。どっちかいうたらその反対で、姉御肌の親分肌やねん、ね。女に生まれたんが間違いやったかもしらん〉
 
〈生まれて初めて心底惚れた女が、ぶっ壊れてた。俺はそいつと、溶けた脳味噌でひたすら番って、こっちも一緒に壊れてって、ヒトであることさえ全部放りだして、自分じゃ何にも決めねえで、生かすも殺すもただただ好きなように使ってもらって、ゾウリムシかミミズかそのへんの単純な虫っけらになって、ああ、それこそ女郎蜘蛛の雄でいいや、そうだ、それがいちばんいいや……〉
 
〈あいつはさ、ただ純なだけなんだよ。俺のことが好きで好きでたまんなかった、それだけなんだよ。惚れっぽくて病的に嫉妬深くて意地悪で、自分のことっきり考えてねぇくせしてふとした拍子に菩薩みてぇに優しくなる……あいつは、俺にとっちゃ阿部定なんかじゃねえ。いまだにお加代だ。これからもずうっと、お加代のまんまだ〉
 






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