【3、家臣として(独り言多めの読書感想文、村木嵐さん『まいまいつぶろ』)】
親は子より先に死ぬ。だから親は子が一人でも生きていけるようになるまで育てる。「孫の顔が見たい」というのは、だから親にとっての子が親になり、もう心配いらないということを納得したいがための欲求なのだろう。
忠音にとって家重は〈他でもない、玉はどこへでも進めるのだぞ〉と「玉」であることを疑わなかった。けれど現状、幕閣で己以外家重がまこと将軍になると信じている者はいないように思えた。比宮はすでに亡くなり、子は流れて、次の音沙汰もない。その願いは、声は、酒に溺れた家重に届かなくなっていた。だからこそ忠音にとって、今自分がいなくなることほど不安なことはなかった。
比宮は運命と言った。それが自分に定められた運命だから、と。
忠音もまた信じていた。他でもない、家重こそが将軍になる運命を持っていると。だからそのためには自分がどう思われようと構わなかった。
〈「比宮様の御心が、もしや家重様はお分かりにならぬのでございますか。あの御方がどんなに家重様の先々を案じておられたか」〉
忠音には分かった。
〈家重ならば不足はない。家重はただ口がきけぬというだけで、他は全て宗武(弟)よりも秀でている〉〈吉宗の改革を前に進めるといえば、その力を過信する宗武ではなく、己を卑下し続けてきた家重なのだ。──慎重に父の後を歩こうと弁えている、己が父に劣ることを絶対に忘れない跡取りだ〉ということが。
そうして忠音自身、病に倒れ、口もきけなくなって初めて家重の苦悩を知る。〈言い切れぬ思いに溢れたこの家重の目が、堪らなく好きだった〉ことを思い出す。
忠音にとって家重は「仕えるべき主君であると同時に、放って置けない我が子」のようでもあった。忠音はただただ家重の行く末だけを案じていた。元々他の幕閣を引き込むつもりだったがもう間に合わない。今は自分のような誰かがそばに現れてくれるのか、誰か託せる者はいないのか、と不安に思うばかりだった。
どうか。
どうか家重様を。
その時だった。
〈「私は本気で将軍を目指してもよいか」〉
声が聞こえた。
比宮が亡くなって後、将軍になりたくないと言っていた男の。
〈「忠音。私の言葉が分かるのか」〉
それまで一度として聞こえることのなかった、忠光を通じてしかできなかったやりとりが、この時初めて叶う。
「それ」は比宮がしていたコミュニケーション。然りならば一度手を握り、不然ならば二度。忠音はまばたきで応えてみせた。
ぎゅっと一度。
〈「分かった、忠音」〉
親は子より先に死ぬ。だからこそ安心できる何かを欲する。忠音にとって「仕えるべき主君であると同時に、放って置けない我が子」のようでもあった家重が、自ら立身を誓うというのは、そんな「何か」に匹敵した。
ただ安心したかった。それでいいのだと納得したかった。
伝えること、伝わること。言語に限らない。人一人の意思が、どれほどの純度を持って相手に届くか、届いたと思えるか。
忠音は幸せの内に逝った。「成仏」というのがニュアンスとして限りなく近しい。
そうしていつの世かきっと、生まれ変わってまた出会う。
余談だが、私がこの場面を視界をゆらゆらさせながら読んでいる時、背後で Def Techの「My Way」が流れていた。その歌詞がジャストフィットして、以来忠音の歌だと思っている。
きっと一度は耳にしたことがあると思う。よろしければ是非一緒に聴いて頂きたい。泣いても大丈夫な環境でなければ、私はもうこの曲は聞けない。