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けっとばす

わたしを型にはめようとしたやつらけっとばす。

わたしを個性的だからと拒絶したやつらけっとばす。

わたしをバカだと嘲笑ったやつらけっとばす。

わたしを憐れんで勝手に泣いたやつらけっとばす。

わたしを勝手に嫌って逆恨みした奴やつらけっとばす。

わたしを怖れて離れていったやつらけっとばす。

お前たちのせいでわたしは、

こんなに苦しんで

こんなに。

こんなに………。

こんなにも時間を無駄にして。

勘違いで、生きてきてしまった。

ああ、憎い。
わたしを傷つけた人全てが憎い。
世界なんか大嫌いだ。

憎しみを抑えるあまり、
それでも彼らを許そうとするあまり、
いつのまにか誰を憎むべきかも定まらなくなって
世界全てを呪う気持ちが育ってしまった。

でも。

こうして憎しみを、向けるべき相手に向けたら少しだけすっきりした。

すっきりしたらわかった。

憎んでいるのはわたし自身。

相手に非はあったかもしれないが、事ここに至っては過去のこと。

間が悪かっただけである。

そう思えたら、今度は、そのおかげで今があると思えた。

わたしのことを型にはめようとした人のおかげで、わたしは謙虚さを知った。

わたしのことを個性的と拒絶した人のおかげで、わたしは個性を自覚した。

わたしを嘲笑った人のおかげで、わたしは人の痛みに気付くことができた。

わたしを憐れんで勝手に泣いた人のおかげで、善意が必ずしも愛ではないと知れた。

わたしを嫌った人のおかげで、人を傷付ける事や恨みを買うことの怖ろしさを知れた。

たくさん傷付いて嫌われてきたからこそ、愛されることの難しさと尊さを知った。

そりゃ今でも嫌われたくない。恨まれたくない。
型にはめられるのも嫌だし、かと言って変わってると疎まれるのも嫌だ。バカにされると、そりゃもう腹が立つ。

けれど、他人が想うわたしなんかに、わたしはおさまる必要はない。

別れた人、離れた人を美化しなくても良い。
許さなくても良い。

別にけっとばしたって、なんならぶっとばしたっていい。心の中でなら。

でも、嫌ったり恨んだり、そうして過去に正しく感情を向けられた時。

もう、どうでもいいやって。
わたしの人生の一部になってくれて、どうも。

そんな風に思えた。

以前は「わたしを傷つけた人も弱い人間で、苦しくて、仕方なくわたしを傷つけた」とむりやり許そうとしたけど。

なんかそういうの、もうやーめた。

嫌いな人の幸せなんてもう祈らない。

もう手の届かない過去の人に囚われて、許そうとして苦しいなら、まずは憎んで憎んで憎めばいい。

心の中でけっとばしたらきっと、飛んでいって遠くなって、許せるくらいちっぽけになるかな。

そしたら、もう二度と会うこともないでしょう。

けっとばしたんだから。

さて、わたしはわたしの道を生きます。

心から幸せを目指すなら、またどこかで交わることもあるかもね。

「憎しみ」を消化/昇華したくて書きました。驚かれた方は申し訳ありません。わたしの心の中の話、過去にケリをつけるための文でした。
けっとばす。は飛び蹴りかドロップキックみたいなイメージで読んでくださると嬉しいです。笑

優しいだけじゃ生きられない。

憎しみだって大事な自分の一部です。

この文を、そう思わせてくれたこちらのnoteの感想文として捧げます。すごく楽になれました。ありがとうございました。


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逸見灯里
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