【感想】NHK大河ドラマ『どうする家康』第37回「さらば三河家臣団」
2023年10月1日(日)20時『どうする家康』第37回「さらば三河家臣団」を視聴しました。
<始まる前に>
誰の子疑惑の鶴松が災いを招き、秀長が亡くなってしまうので、秀吉が暴走するんですよね。
そして家康は運命の関東移転です。
<NHKのあらすじ>
茶々(北川景子)が秀吉(ムロツヨシ)との子・鶴松を産んだ。
勢いづく秀吉は、北条攻めを決定。
和平を主張する家康(松本潤)に秀吉は先陣を命じ、勝てば北条領を全て与えると言う。
しかし、それは故郷・三河を離れることでもあった。
家康は家臣たちに事情を話せないまま、出陣を命じる。
秀吉が20万もの大軍で小田原城を包囲する中、家康は氏政(駿河太郎)に降伏を促すが、全く応じようとしない。
氏政には関東の雄としての意地があった。
■プロローグ
●天正17年(1589年)・5月
新たな側室・茶々に秀吉の初子・鶴松が生まれました。
■ナレーション(寺島しのぶ)
「生涯初の我が子を得て喜びの絶頂にある秀吉は、勢いそのままに関東北条攻めを決定したのでありました」
●相模・小田原城の北条氏政
北条氏直(西山 潤)とおふうは関白への上洛を父・氏政に促します。
●京・聚楽第
一方、家康は氏政を説得し、上洛させると秀吉に言上しています。
外交顧問の西笑承兌(でんでん)は、奥羽には伊達政宗もおり、天下が乱れてはいけないと言上します。
織田信雄(浜野謙太)も北条をひざまずかせれば天下一統・諸国惣無事がなると言います。
北条を征服したら褒美として与える、3か月で戦を終わらせろと命じます。
(ナレ)「秀吉の天下一統が刻一刻と迫っておりました」
---曲---
稲本響
■秀吉の独裁
唐、明国を手に入れようかと話ており、秀長が病気で命も短く、寧々は旭と家康に、秀吉にものを申せるのは家康だけと話しています。
■駿府城
北条との戦を命じました。
服部半蔵も武士となったと話しています。
阿茶(松本若菜)と本多正信が作戦会議に家康と行っています。
(ナレ)「甲斐・武田家の流れをくみ、才覚に優れまつりごとも手助けするこのお方は君のご側室の一人、阿茶局でございます」
本多正信(松山ケンイチ)は3か月で戦を終わらせるのは難しい滅んでもやむを得ないと言います。
北条領との国替えで、我らの国に返ってくることは出来ず、小田原に入ることになると話します。
故郷が取り上げられることはとても家臣には話せないとも。
本多正信が大久保忠世(小手伸也)に、なにか耳打ちしています。
(ナレ)「天正18年2月10日駿府より徳川勢出陣、続く3月1日、都より関白秀吉勢出陣。総勢20万ともいわれる大軍勢が小田原へ向け進軍」
■小田原攻め
(ナレ)「家臣一同大いに奮戦、服部正成もまた兵を率い数多くの首級をあげ。」
大久保忠世が奮戦します。
(ナレ)「小田原城を完全に包囲するも、北条は頑なに籠城を続け、早くも3月が経とうとしておりました」
●6月
北条方は、兵糧が尽きると苦戦していました。
すると、一夜にして城ができていました。
●秀吉
小田原から見えないように作らせて、一夜にして現れたかのようなので、一夜城と自ら説明します。
小田原にむかって小便をする秀吉、家康はまだ降伏を促そうとしています。
(感想)
有名な一夜城が一言で端折られました。まあ、説明が入っただけましかな。
そして、阿茶局が戦略会議に入るというのはスゴイ女性ですね、本当なら。
さすがにこのご時世、何人もいる側室から選抜されたなんて言えないか。
■秀吉の命令
交渉中に茶々が現れ、家康と相対します。
秀吉は、家康に、三河、遠江、駿河、甲斐などは返上させ、関東に専念させることにします、
小田原を止めさせ、武蔵の江戸に街道の交わる要、江戸に迎えと命じました。
そして、徳川重臣たちは城持ち大名にさせるようにします。
家中のことは口出し無用にしていただきたい。
「東国をよろしく頼む、な」
つながりを断つ、我らのつながりを削ぎに来たということでした。
(感想)
今後の茶々とのやり取りが面白そうです。
既存ドラマの関東連れションによる国替え命令のイメージを変えてきました。
■7月5日北条氏直 降伏
(ナレ)「そのわずか9日後北条家の当主氏直が降伏」
家康の面前で氏直とおふうはねぎらいの言葉をかけられました。
●7月10日家康小田原入城
氏直は助命されると話しますが、北条氏政は腹を切ると断言します。
なぜもっと早く決心しなかったのか問います。
それに対し、夢を見たかったからと答え、ある企てに誘われたことを話します。
今川氏真、糸、瀬名、の誘いで一つの国になるという話でした。
「関東の隅で侵さず、侵されず、民と豊かに暮らしていたかっただけ、なぜそれが許されぬのか」(氏政)
「世は変わったのでございます」(家康)
力尽きるまで抗いたかった、家康によろしく頼むと、頭を下げました。
小田原合戦終結
(感想)
戦なき世をということばが虚空を飛ぶーう。
現代ファンタジーの妄想劇です。
■石田三成(治部少輔)
織田信雄も国替えを不服とし異議を申し立てたため、改易となりました。
三成は辛抱するよう提言します。
もし万が一秀吉が間違ったことをしたときは石田三成が止めると約束しました。
「江戸からも同じ星は見えまする」(本多正信)
■家臣等に国替えのお達し
国替えとなり、三河を手放し、混乱を避けるために異論は認めないと本多忠勝を制します。
しかし、忠勝は、関東も良いところだと、家臣団はすでに覚悟ができていました。
故郷には別れを告げてきたとも。
国替えは避けられぬからと、大久保忠世は、本多正信に頼まれて、家臣団の火の粉を一手に浴びたのでした。
殿のおかげであると、一堂頭を下げ、家康も頭を下げました。
井伊直政(板垣李光人)は上野・箕輪
榊原康政(杉野遥亮)、本多忠勝(山田裕貴)は上野館林、上総万喜
鳥居元忠(音尾琢真)、平岩親吉(岡部 大)は、下総矢作、上野・厩橋
相模・小田原は、大久保忠世でした。
家康は江戸、ぬかるみだらけ、粗末な城も作り直すと語ります。
服部半蔵は名を呼ばれていませんでしたが、家康とともに江戸に行くことになりました。
(感想)
大久保忠世は小田原とこうした縁があるんですね。
●秀長
天下一統相成ったという言葉に、安堵し息を引き取りました。
●天正19年(1591年)8月5日 鶴松病没
鶴松病没
秀吉は笑いながら、次は何を手に入れようかと語りました。
■天正20年(1592年)正月江戸
伊奈忠次が、神田山を削り、日比谷入江を埋め立てる計画です。
秀吉より書状が届き、朝鮮を従え、明国と戦するという内容でした。
----つづく----
次回はどうする家康 第38回「唐入り」10月8日放送です。
■感想
家臣の大黒柱・酒井忠次がいないと思ったら、この頃には隠居していたんですね。
酒井忠次について、どこかの回で語られるんでしょうか。
そして、秀吉の悲劇は続きます。
世継ぎ戦略がうまく機能せず、民や大名の心も離れ、豊臣政権崩壊へと向かい、家康の天下に。
次回は唐入りが描かれるので楽しみです。変な意味で。
もしも江戸ではなく小田原が家康の居城になっていたら、現代はどうなっていたのかと想像すると面白い。
途中で江戸に移っていたのか、駿府に戻っていたのか。
伊奈忠次という人物はその後、江戸のまちづくりで大きな功績を上げるので、また登場しそうです。