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【感想】NHK 歴史探偵「海の王者 平清盛」を視聴しました

2024年9月11日(水)22:00~22:45 歴史探偵「海の王者 平清盛」を視聴しました。

<NHKのあらすじ>
「光る君へ」の平安時代を終えんへと導いた平清盛。
その強大な武力、経済力、政治力の源は海にあった!?
武士の世を切り開いた英雄を「海」という切り口で徹底調査する。


■プロローグ

●スタジオで
佐藤所長「藤原家成、比企能員を演じたので親しみがあります」
平清盛(1118~1181年)
・伊勢平氏とも呼ばれる
・イメージカラーは赤
・平家にあらずんば人にあらず
力の源が海だった、日本三景を調査しました。

■海の革命児 平清盛

●嚴島神社
・横田徹さん(公認ガイド)
「もともと厳島大明神という小さな神社が造られていました。それを12世紀後半に海上社殿に作り変えたのが清盛です」
平家ならではの工夫、板と板の間に隙間があり、高潮のとき浸水させて建物を守る役割があります。
本殿の大きさは当時日本最大を誇りました。
「中右記」
平家は貴族の中で最も位が低いもの「最下品」と呼ばれました。
盗賊の取り締まりなどの下働きをさせられ、上級貴族の番犬と呼ばれました。
・高橋昌明さん(神戸大学)
「貴族社会の最下層なので、権限も入ってくる利益も限られています」
原動力となったのが海でした。

■平家と海のつながり

伊勢国三重県へ
辰砂、水銀と硫黄からなる赤い鉱物、伊勢で大量に採掘されました。
・津村善博さん(三重県総合博物館)
「宋では不老不死の薬として使われていました」
宋への輸出に向け動きます。
貴族で貿易に手を出すものはいませんでした。
平家は博多までの輸送路となる瀬戸内海をおさえる必要がありました。
朝廷に願い出て、安芸国、播磨国、備前国の海上輸送ルートを確立させました。
辰砂の輸出は成功、中国製の白磁が輸入されました。
・平尾政幸さん(京都市埋蔵文化財研究所)
平家は自らの出世のために、天皇や上皇に献上し、出世の便宜を図りました。
異例の出世を遂げ、清盛の代には三位、上級貴族の仲間入りを果たしました。

●寝殿造と嚴島神社
建物と海、嚴島神社と似たような建物が、寝殿造の貴族の屋敷です。
・三浦正幸さん(広島大学)
嚴島神社と寝殿造には多くの共通点、東三条殿と嚴島神社は多くの部分が共通していました。
「都の有力な貴族たちを呼んで、随行して参拝させています。さすが平家の力を目の当たりにさせてしまう意図がありました」

●スタジオで
他にもすごいことがありました。
千僧供養、大規模な法要を行いました。
河合先生「あたかも海に火を敷き詰めたという表現が残っています」
佐藤所長「フェスみたいですね」
河合先生「桓武天皇の子孫の一族で、軍事貴族として成長していきます」
武士としての面、とんでもない荒くれ者が立ちはだかります。

■海賊との戦い

これまで誰も取り締まることが出来ませんでした。

●とっておきの武器
弓具店で再現します。
木製弓が一般的、合せ弓は竹を貼った最新の武器です。
海賊は入手が困難だったといわれます。

●実際に再現
初速度を計測するとその差は歴然、合せ弓141.5km/h、木製弓104.8km/hと差があります。
・瀬尾和哉さん(工学院大学)
飛行力学で分析すると、飛距離で1.5倍遠くに飛ばせることが判明しました。
・樋口隆晴さん(軍事研究家)
「なるべく遠い距離から遠矢でなおかつ早く射ることが求められます」

■平治の乱

平治元年(1159年)
遠矢を使った海での戦い方は、国の主導権をめぐる陸の大勝負でも力を発揮しました。
それが平治の乱、源義朝との決戦です。
源氏は陸での戦いに長けていました。
樋口さん「象徴的なのが流鏑馬です」
平家は退却を余儀なくされますが、平清盛には策がありました。
海と同じ状況を陸に作り出すというものでした。

●CGで再現
CGで清盛の戦術を再現します。
清盛は源氏を六波羅へと誘い込みました。
大きな板、橋桁をはずしてバリケードとしています。
逆茂木や置盾などの障害物を並べ、櫓を設けそこから遠矢を放ちます。
高い位置から矢の雨を降らすことが出来、櫓は予備の矢を入れられ、船と一緒です」
バリケードと櫓で平家の得意な海の戦いに持ち込むことが出来ました。

●スタジオで
佐藤所長「京都で海の戦いを再現するのは斬新ですよね」
クイズです。
清盛は武士らしいあることが得意でした。
1.かけっこ
2.にらめっこ
3.かくれんぼ
正解はにらめっこ
にらめっこの相手、ドクロの妖怪を退治した絵が残ります。
河合先生「目競といい、相手を睨んで威嚇するというスキルが武士として大事だったのかも知れません」
どんな性格だったと想像しますか?
河合先生「どんなに嫌なことをされても、冗談だと思うことにしていた。おもしろくなくとも、相手をいたわってにこやかに笑い、声を荒げることが無かった」(「十訓抄」)
佐藤所長「めちゃくちゃ優しい、理想の上司ですね」
太政大臣まで上り詰めますが、突然出家をして政治から身を引いてしまいます。
清盛の壮大な野望が、お引越し、港町神戸へ引っ越し、海のビッグプロジェクトをスタートさせるのです。

■神戸への引越

●古代大輪田泊
奈良時代に造られた小さな港です。
清盛はこの港を拡張し、中国船を招き入れ国際貿易を行おうします。
日本の経済を変えようとしていました。
・高橋昌明さん
「平安時代、米や絹織物が貨幣の代わりをして生活必需品を買ったりしていました」
清盛は貨幣の利便性に気づきます。

■宋銭

・中村大介さん(神戸市埋蔵文化センター)
貨幣経済ではありませんでした、
平家が独占しようとしたのです。
壮大な野望の第一歩でしたが、課題がありました。
大輪田泊は波が激しく、中国船を停泊できませんでした。
・内山雄介さん(神戸大学)
大輪田泊の波というのは、東側から来ました。
平家物語には驚きのアイデアが記されていました。
「経嶋」清盛は経の島を築いた(平家物語)
海を埋め立て、大型の防波堤を築きました。
実験で確かめてみました。
経の島無しの場合、船の安全性が保てません。
今度は港の前に経の島を置いてみました。
港の中は船が安定しています。
これを回折現象といいます。
実際、経の島ができると中国船がやって来ました。
さらに1180年、清盛は思い切った決断を下します。
平安京から大輪田泊の近くの福原京への遷都です。

●スタジオで
佐藤所長「スケールの大きな話ですね」
河合先生「貴族は外国人と接触したくないということで、都から離れた九州で貿易をさせていました」
「清盛は海洋国家を目指しました」
平家滅亡のきっかけの一つが、宋銭だったのではないかと言われています。
河合先生「この時期大飢饉が発生し、お金が全然使えなく、がらくた同然となり、源平合戦の最中で兵器を買うことができなくなりました」

ーーーおわりーーー

次回は「富士山と日本史」9月18日(水)22時放送です。

■感想

滅ぼされる側の論理で、敗者は悪者として描かれる傾向にあります。
平清盛もその理論で悪者として描かれることが多いです。
そこをそうではない、立派な人物だったという視点で番組が作られたことは意義があります。
とはいえ、あれだけ権勢を誇った政権が、簡単に滅んだのも事実。
番組ではそこにはあまり触れていませんでしたね。
宋銭に原因があったということでした。
「平家にあらずんば人にあらず」「驕る平家は久しからず」
どちらかというと驕る平家のほうが印象深いかな。
当時の貴族には平家にあらずんばのほうが強烈だったでしょう。
嚴島神社は、式内社(名神大社)、安芸国一宮ですが、旧官幣中社なので、大社ですが、やはり貴族にとっては少し格が落ちるといった位置づけでしょうか。
宗像三女神を祀っていますから、市杵島姫命(いちきしまひめ)が社名の由来だと考えています。
厳島(宮島)は「神に斎く島」、古代から島そのものが神として信仰されたと考えられているそうなので、神体山信仰のある古社であることは間違いないでしょう。


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