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【感想】NHK 歴史探偵「飛鳥の巨石は何を語る?」を視聴しました
2025年2月19日(水)22:00~22:45 歴史探偵「飛鳥の巨石は何を語る?」を視聴しました。
<NHKのあらすじ>
世界遺産の候補として注目の奈良・飛鳥。
1400年前に都があったこの地にはたくさんの謎の巨石が!
不思議な模様が彫られた酒船石や華麗な装飾の石柱が造られた理由とは
■プロローグ
●スタジオで
今日のテーマは、奈良の飛鳥の巨石です。
佐藤所長「石舞台古墳が有名です」
巨石がなぜ造られたのか、飛鳥時代がどんな時代であったのか見えてきます。
飛鳥はとても熱い場所で、世界遺産に来年夏登録を目指しています。
飛鳥時代
645年 乙巳の変
663年 白村江の戦い
巨石は、4kmの四方に密集しています。
佐藤所長「猿石の猿と目があった!」
ただ発掘調査でその謎が解き明かされつつあるのです。
■飛鳥の巨石は何を語る?
●亀石・猿石
高さ2mの巨石、亀石です。
なんで石の亀があるのか?
続いて、猿石です。
あなたは誰?
益田岩船(橿原市)、高さ5メートルあります
なんのために巨石が生まれたのか?
●手がかりの場所へ
・相原嘉之さん(奈良大学)
酒船石、全長5mの石板です。
最大の特徴は、表面に刻まれた不思議な模様。
くぼみをつなぐように溝が掘られています。
何のために造られたのか、巨石が造られた理由が見えてくるといいます。
2000年2月の酒船石遺跡の発掘調査
相原さん「水を流して使っていたのではないかと」
●実験で調査
・山田修さん(奈良県立大学)
まずは写真撮影、500枚以上酒船石を撮影します。
3Dデータを作成しますが、左右が大きく削られていて、本来の姿が失われています。
想定図を参考に破損された部分を復元します。
1か月後、酒船石の姿が復元されました。
飛鳥時代の姿が現代に蘇ったのです。
一番端にある四角いくぼみから水を流します。
真ん中の池に水が溜まっていきます。
すべてのくぼみに水が行き渡りました。
相原さん「笹舟を水に浮かべると回ります」
回数を重ねると、毎回違う場所に入っていきます。
毎回ランダムな場所に入るよう造られていることがわかりました。
相原さん「どこの池に入っていくかによって、占いができるのではないでしょうか」
祭祀施設だったと考えています。
すぐ近くでそれを裏付ける発見がありました。
亀形石が発掘されたのです。
亀は神聖な動物とされ、聖なる水と考えられたのです。
相原さん「禊のようなものをしていたのではないか」
さらに丘の中腹でも裏付けとなる発見がありました。
飛鳥時代の石垣が保存されています。
頂上に酒船石、祭壇の上に安置されていたいイメージです。
巨大な祭祀施設で、なぜ占いの儀式が行われるようになったのでしょうか?
●乙巳の変(645年)
政治的な混乱がありました。
乙巳の変です。
蘇我蝦夷・入鹿を中大兄皇子が滅ぼした古代史上最大の暗殺劇です。
権力争いが激化します。
斉明天皇が誕生しました。
中大兄皇子の母で呪術や占いを得意としていました。
『日本書紀』”斉明天皇が飛鳥宮の東の山に石垣を造った”
相原さん「巨石を使った占いで国を導こうとしたと考えています」
●スタジオで
佐藤所長「現代の感覚でいうと、大丈夫なのかと思わなくもない」
河合先生「跡継ぎを占いで決めたり、平城京遷都も占いで決めたりしてます」
ほかの飛鳥の巨石にも政治的意味合いが込められていたことがわかってきました。
・導水石:宮廷の庭園
河合先生「中国の古代では皇帝が支配した世界を凝縮していた、皇帝がいかに力があったかをアピールしました」
・猿石:伎楽の登場人物、外交使節を迎えるもてなすための施設で使われたと考えられています。
・益田岩船:古墳の石室の一部
亀石のように、未だによくわからないものもあります。
斉明天皇には課題として外交問題の課題がありました。
■斉明天皇の外交
●須弥山石
飛鳥資料館(奈良・明日香)
・石橋茂登さん
石のタワーです。
「須弥山石」高さ2.3m、花崗岩で造られています。
須弥山がモチーフです。
外交にどう使われていたのでしょうか。
ある仕掛けを復元模型で実演します。
一番下の穴から水が出てきました。
中に空洞があり、溝が掘られていました。
古代の噴水と考えられています。
●古代に秘められた驚異の技術
宮城丸森町へ
・山田正博さん(石材加工会社)
穴を開けるには途方もない時間と集中力が必要でした。
硬い花崗岩を精巧に加工するのは並大抵のことではありません。
斉明天皇はどのように外交を行ったのでしょうか。
日本書紀にヒントがありました。
”須弥山を造って蝦夷をもてなした”
蝦夷とは、主に東北地方で暮らしていた人々、飛鳥の朝廷の支配下に入っていませんでした。
石橋さん「服属の儀礼、盟約、誓約のようなものをした誓いの儀式の一貫です」
技術力で圧倒するための装置だったんですね。
東アジア情勢を打開するのに大きな意味があったと考えられています。
●巨石を使った驚きの外交戦略
熊谷公男さん(東北学院大学)
遣唐使の記事:”蝦夷の男女を唐まで二人を連れていき唐の皇帝に謁見した”
日本書紀:唐の皇帝との謁見の場で、日本に貢物を納めています。
日本の力を大きく見せようとしていました。
熊谷さん「権威付けをし、東アジア世界の中で、日本の地位を大きくしたい」
朝鮮半島の外交交渉で優位に立つ狙いがあったと言います。
熊谷さん「重要な意味を持っていた。蝦夷を服属させる儀式として非常にメリットがあったと思います」
●スタジオで
佐藤所長「当時の人が須弥山をみたらすごい!となります」
外交の広がりを示す巨石もあります。
「石人像」女性と男性が組み合わされたものです。
噴水のし掛けがあります。
顔が、異国風、当時飛鳥を訪れたとされるタイやインドの人を意識していたとされます。
しかし、巨石が造られたのはたったの7年間
最後は巨石文化消失の謎です。
■飛鳥の巨石文化 消失の謎
●酒船石の石垣
・相原さん
石垣にはきめ細かい砂岩が使われていて、花崗岩と異なり、加工しやすいのが特徴です。
4万個が1000トンの砂岩の石垣がありました。
相原さん「実は飛鳥では取れない、天理市で取れる石でした」
飛鳥から約15km離れていました。
●北側の水田へ
1段低いところが一直線になっています。
斉明天皇が造らせた人工の溝です。
この溝は飛鳥と天理をつなぐように造られ、幅10m以上、最大の規模でした。
どう使われたかの手がかりとなる石がルートの途中にありました。
「コグリ石」市杵島神社
水を出したり止めたりに使われており、水の量を調整する水門のような使い方をされていました。
あの溝の正体は、「運河」
全長15kmに及ぶ砂岩を運ぶ運河だったと考えられています。
「天皇にとっては酒船石、運河は重要なことでした」
しかし、巨石文化が途絶える一因になりました。
日本書紀:”たぶれごころの溝”
「相原さん狂った心の溝です」
●たぶれごころの渠
3万人が動員。船は2百隻、石垣を積み上げる人は7万人いたとされます。
大工事を当時の人はどう思っていたのか?
日本書紀「工事がお好きだ、無駄にしている、石で丘をつくる、勝手に壊れるだろう」
大きな反感をかっていたことがわかります。
「天皇が考えていることを民は理解できていなかったのでしょう」
即位から7年後、斉明天皇はこの世を去ります。
巨石文化は途絶えたのでした。
●スタジオで
佐藤所長「過酷な労働を強いられた民衆は小言を言いたくなる気持ちがわかります」
巨石づくりが途絶えた理由もう一つ大きな要因があり、それを物語るものがありました。
「漏刻」水時計です。
中大兄皇子が日本で始めて造ったものです。
河合先生「合理的な発想で国を納めることが斉明天皇が亡くなることで一気に加速していきます」
701年大宝律令、710年平城京遷都
法律によって国を治める新しい仕組みが整えられていきました。
巨石という現代に謎だけが残りました。
「歴史を雄弁に物語っているのが面白かったです」
推しの石は?
佐藤所長「石人像」
河合先生「須弥山石を家に置いておきたいです」
ーーーおわりーーー
次回は「白川郷と五箇山」2月26日(水)22時放送です。
■感想
久しぶりの古代史ということで興味深く観ていました。
斉明天皇が巨石にこだわって民衆を蔑ろにしたというのが定説で、それに基づいて番組が構成されていました。
日本書紀を信じれば、そういう結論に達してもおかしくない。
たぶれごころの渠と民衆が批判したのはなぜか。
中大兄皇子が長く天皇に即位できなかったのはなぜか。
この時代は激動の時代、おそらく日本書紀にも記されなかった歴史の闇があると考えています。
乙巳の変、壬申の乱、白村江の戦い、これらの大事件の背景には何かあったのか?
妄想するだけでも、楽しいです(笑)