第三十四回「イタリア縦断記」その弐 ~目指せニューシネマパラダイス~
「まだ旅は始まらない」
2018年7月 ヴェネツィア
思えばシチリアへ想いを馳せてから、四半世紀も経ってしまった。時の経つのは早いもので、時に恐ろしいとさえ感じる。ぼうっとしていると日常のやらなければならないと思うことに埋没し、あらゆる事象に翻弄されていくのだとしたら、やりたいことは最優先で行動していかなければならないんだな、と今感じる。
でも、ようやくここまで来たんだ。旅行ではなく、「自分の人生の旅」を進めるポイントにまでヒロキはどうにかこうにか辿り着いた訳だ。ヴェネツィアから始まるイタリア縦断の物語、これ以上の舞台設定はないだろう。これだけ巡っても未だにヴェネツィア140の島全部に降り立った訳ではないのは悔しいが、そろそろ次へ進まねばならないのだろう。この居心地の良いヴェネツィアに籠ったまま日本に帰る訳にもいかないのだ。
これまでの八ヵ月、僕は迷路のような本島をぐるぐると歩いてきた。全地区のバールに立ち寄り、バーカロ(居酒屋)で飲み歩いていると、色々な人との出会いが生まれた。イタリアで「ちょっとカフェに行かない?」「帰りがけに一杯アペリティーボしない?」と言われたら、それは『あなたと話したい、関わりたい』というサインだ。そしてカフェ文化もはしご酒も、ここヴェネツィアが発祥である。
ずっと変わらないような濃密な人間関係社会は、結果として新たな文化をも生み出し続けていた。世界最古の図書館や美術館、博物館、教会のイベントにも家族と出かけた。時間があれば近所の人たちが美味いピッツァを食べに行こうと、近くの島々に連れていってもくれた。また船で20分も乗ればヴェネツィアン・ガラスで有名なムラーノ島があり、映画のセットのようなカラフルなブラーノ島にもそこから30分。美味い魚を手に入れたければ、でっかい市場のあるキオッジャまで行けばいい。毎日が冒険のようで、僕はワクワクしていた。
ヴェネツィアの島々は学ぶことにも遊ぶことにも事欠かない、ほんとに豊かな場所だと思う。最近は「ヒロキも立派なヴェネツィア人じゃないか」とイタリア人の友達に言われることもあり、心から嬉しく思う。ここに住めたことは本当にラッキーなんだけれど、他の所へ行く必要を感じなくなってしまうことを考えると、ある意味不幸であると言えなくもない。それくらい世界で唯一の「人間の暮らしの質」に特化したまちだ。
実は日本国内を回る中で、親しみを持ちながらも、ずっと違和感を感じてきたことがある。変化に対応出来ずに迷走しながら、未だに便利さと機能性を目指して一喜一憂している今の日本。私たちの船は一体どこへ向かっているのだろうかと先が見えなくなることがあった。
もちろん、イタリアもまた別の部分で政治や社会インフラなどの根本的な問題を抱え、解決の糸口すら見えていない大変な部分があるのは事実だ。僕も正直それでイライラしたことも多々ある。
人々はいつもそれらの問題について不平を漏らし、地元のサッカーチームについて激論を交わしている。
しかし、彼らは個がしっかりと確立しているからなのか、常に楽しむ姿勢を忘れないし、卑屈になることがなかった。我々がどこに向かって行くべきなのか、これからの時代、イタリアだろうが日本だろうが、先が見えないことが大前提なんだろうということは同じだと感じる。
でもだからこそ、今ここで僕は改めて問おう。このヴェネツィアのヒューマンスケールなまちの暮らしは誰が守ってきたのだろう。それを一口に美意識だとか文化の違いということで片付けることは出来ないはずだ。
そしてヒロキは、ここまで頑固に人と人との関わり合いを全ての真ん中に置き続けていることへの、彼らのブレなさ加減に感動すら覚えていた。
「住みたいまちに出会うこと」
ヴェネツィアについてばかり語っていると、いつまでたっても物語は展開しない。だから少し視点を拡げてべネト州というスケールでの旅を語ろうと思う。
仕事で日本をまわっていると良く聞かれる質問がある。「監督が訪れたまちの中で住んでみたいまちはどこですか?」という深い問いかけだ。
「面白い人にどこで出会いましたか?」でもなく、「旅行でお薦めのまちはどこですか?」でもない。これを聞かれると思わずたじろいでしまう自分がいた。
何度でも訪れたいと思うまちは確かにある。そして「もしこのまちに自分が住むとしたら」と想像を巡らすことも今まで何度もあった。そういういう心点を持たないと仕事は出来ないと思っているし、ましてや地域の本質を描く映画などつくれないからだ。
そういう意味でヴェネツィアは文句なしにまた住みたいと思うまちであることは間違いない。では、このまち以外のどこでそういう気持ちになれるんだろうかと妻と語りあってみた。なかなか「ここだ」と確信を持って言いきれるものではないからこそ、酒の肴としては一番盛り上がるテーマなのである。
しかしながらその答えが、ここヴェネト州の、とあるまちであっさりと見つかってしまった。驚いた。
「あっここって、もしかして!」
そう感じてしまったのだ。そして日奈子もまた同じ何かを感じているようだった。
彼女も結婚前から沖縄の島々をはじめ、日本各地や海外へも頻繁に旅する「移動する民」の一族である。移動する民とは、理屈抜きに絶えず移動するものであり、「移動しない民」は生涯においてあまり旅行もしない傾向があるとは良く云われることである。
もちろん日奈子がそんな僕と同じ「移動する一族の者」であると知っていた。その上で何気なく「もしかして、このまちに何か感じた?」と問うてみると、うんうんと無邪気に笑顔で頷いてるじゃないですか!
どうやら同じタイミングでヒロキと日奈子は同じにおいを感知したらしい。夫婦というのは、やはりどこか似てくるものなのだろうか。
ではずばり、そのまちとはどこのことなのかを紹介したい。その名をトレヴィーゾという「三十分で歩ける庭園都市」として親しまれているまちだった。ヒロキはこのまちのことは全然知らなかったし、來るまで余り期待もしていなかった。
人口は約八万人、ヴェネツィア共和国時代の初のイタリア本土領である。城壁内の歴史地区に三千人が住み、都市部に残りの人々は住んでいる。水路を通じてなんとも言えない清涼感に溢れ、可愛らしい街並みが心地良かった。
「陸のヴェネツィア」と呼ばれるのも充分頷ける。歩きながら僕はうっかりこのまちに一目ぼれしてしてしまっていたようだった。
清らかな水の流れにせり出すようにして佇むアパートメント群。艶やかな緑とさりげなく咲く花々も美しかった。
「ねえ、あの川沿いのあそこの部屋なんてどう?」
ヒロキが指さすと、日奈子はまた首を何度も縦に振った。なんと着いてから十分で住む家まで決まってしまった訳だ(もちろん妄想の中のお話です)。
そしてヒロキが一番大好きなドルチェであるティラミス。それもここトレヴィーゾのレストランが作ったもので、味もさることながら、お店の佇まいや内装も可愛らしい。なんだか全てがキラキラして見えた。
アパレルのベネトンや電機メーカーのデロンギの本社もこのまちである。
余談になるが、ベネトンの社名の由来は、「べネト州のもの」というところから来ている。これも、地域ブランドが結果としてそのまま世界ブランドになってることが窺える、実にイタリアらしい事例なのである。
(次回 イタリア縦断記「今度こそ旅の出発」篇へ続く)