太宰治は、公衆衛生的には薬物乱用者であり、自殺未遂を繰り返すダメンズアル
塩野七生さんのローマ人の物語シリーズの中で、「すべての道はローマに通ず」は、公衆衛生の担当者は絶対に読むべき書物です。
塩野氏は、「ギリシャ文明が及ばなかったものとして、ローマ人による上下水道建設があり、衛生対策という重要極まりない役割があった」と指摘しております。
医聖ヒポクラテスを産んでおきながら、上下水道には無関心だったギリシャ人。
医学も医療もギリシャ人に丸投げしておきながら、上下水道の整備には熱心で、公共の大浴場をつくって身体の清潔を保つことに執着したローマ人。
この対比は、塩野氏しかできないでしょう。
ギリシャ人対ローマ人は、「医療」対「公衆衛生」の対比に似ています。
ギリシャ人のヒポクラテスは、病気の治療よりも病気を予防することの大切さを説いています。
ローマ帝国は、それを国家規模で成し遂げたのです。
このローマ帝国に似ているのが、江戸時代の日本です。
江戸には、水道がありました。
江戸の玉川上水は、1653(承応2)年に完成しています。
玉川上水の開削者は、多摩地方の農民である庄右衛門と清右衛門と言われています。
完成後に「玉川」の姓を与えられ、その経営をまかされました。
玉川上水の経営は、玉川両家で世襲されましたが、1739(元文4)年以降は、幕府の直営となりました。
いわば「公営水道」となったわけです。
1901(明治34)年に廃止されるまで、使われていました。
作家の太宰治が、1948(昭和23)年に6月13日に、山崎富栄と一緒に玉川上水に投身自殺をしました。
このときに、玉川上水がまだ現役の状態で水道として使われておれば、非難ごうごうだったでしょう。
太宰治は、文学者としては素晴らしいのですが、公衆衛生的にはいまいち評価できません。
薬物乱用者であり、自殺未遂を繰り返すダメンズです。
太宰治の墓は、東京都三鷹市の禅林寺にあります。
森林太郎(鴎外)の墓も向かい合って並んでおり、文学ファンならば一度はお参りにいきたい場所です。
私が青森県に住んでいた頃に、五所川原市金木町にある太宰治の生家「斜陽館」は旅館となっており、宿泊ができました。
9月の初旬の週末に泊まったことがありますが、若い女性だらけでした。
斜陽館の人に聞いたところ、「この時期は卒業論文を書くために来る文学部の学生が多い」とのことでした。
恐るべし、太宰ファン。
女性は、ダメンズ好きというのは本当かも。
6月19日が太宰治の命日で「桜桃忌」と言われています。
亡くなったのは13日ですが、玉川上水で発見されたのが19日なので、こちらの方が有名になったそうです。
ちなみに、太宰治と松本清張は同じ年に生まれた同級生です。
お二人の写真を比べて見ると、太宰治の方が女性にもてると実感しました。
清張さんすいません。
清張さんが作家になったのは40歳代になってからなので、比べるのは公衆衛生学的にフェアではない気がします。