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長寿食「地中海料理」は、サレルノ養生訓から生まれた
イタリアの南部にある都市サレルノは、港があり、古くはシチリアやアラビアとの交易が盛んでした。
九世紀にはサレルノ医学校があったと言われています。
ローマから遠く離れており、教会の影響をうけずに自由に医学を学ぶことができ、医学先進地のアラビアの医学書も翻訳されていました。
いつしか、「ヒポクラテスの都市」と呼ばれるようになります。
ヨーロッパの各地から多くの医学生が集まりました。また、女性も医学を学ぶことが許されていました。
この地から「サレルノ養生訓」が産まれています。
一般向けに編纂された養生のための「詩集」でしたが、研修医用の教科書となり、各国語に翻訳され、全ヨーロッパで広く読まれました。
その後、ヨーロッパの各地に医学校が設置されて、サレルノは次第に廃れていきました。
とどめは第二次世界大戦です。
1943年9月9日に、イタリア半島における米英連合国軍の上陸地点となり、ドイツ軍との間に激戦が交わされて、歴史的な建造物は残っていません。
行ったことはありませんが、温暖な保養地でゆったりとしているようで、どこか宮崎に似ているような気が……。
宮崎は、1945年11月1日に予定されていた米軍の九州侵攻作戦(オリンピック作戦)の主要な上陸地点となっていたので、サレルノと同じになる可能性があったのです。
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現在、長寿食として評価されている「地中海料理」は、このサレルノ養生訓から生み出されたと言われています。
サレルノ養生訓は、サレルノの医師団からイギリスの王への医学的助言という書き出しで始まります。
英国王の健康のため
サレルノ学派の教訓を捧げまつる
心労で頭を悩ませ給うな
憤怒で心を痛め給うな
深酒に耽り給うな
晩餐は早く立上がり給え
食後の長座は害をもたらし午眠を防ぐ
動けば自然の要求(排泄)現れる
我慢し給うなそれは危険を育むらん
重要し給え三人の名医を
一は安静
二は陽気
三は食養生
今でも十分に通用する教えだと思います。
英国王だけでなく、忙しい各国首脳に捧げまつりたいくらいです。
もし私が、イタリアの大統領の側近だったら、サレルノ・サミットを進言します!
そして冒頭の議長挨拶で、このサレルノ養生訓を披露します。
G7首脳会議が無理なら、せめて保健大臣会合で。
食養生は、宮崎産の魚介類、山・野菜類をふんだんにつかって、オリーブオイルとニンニクで味付けした宮崎風地中海料理でもいかがでしょうか。
もちろん野菜はプラス100g、食塩はマイナス2gで。
ワインは「樹樹」。
宮崎に帰って初めて飲んだ五ヶ瀬ワインです。
口の中でぶどうの香りと泡がほとばしりまする。
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