うぐひすのこほれるなみだ/立春におもう
雪のうちに春は来にけりうぐひすの こほれるなみだいまやとくらむ
この時期になると、この歌を思い出す。
『古今和歌集』春巻4番歌、「二条后の春のはじめの御歌」。
今日、二月四日は立春。この冬は例年にない暖冬で、雪のうちに、なんていうほどの寒さを感じることは少なかった。実際、地元では降雪もなく、手先がしびれるような厳しい冬を、逆に恋しく思うくらいである。
年が明け、冬から春へと移る季節。そんな時期に、頻繁にこの歌のことを思い出す。
「うぐひすのこほれるなみだ」
この美しい表現が、心に張り付いて離れない。
春のはじめの御歌ということで、立春の頃に歌った本歌は、七十二候の立春初候「東風解凍(こちこおりをとく)」から着想を得ていると考えられている。この、凍りを解くを「鶯の凍ったなみだ」と表現する繊細さ、そして中国から入ってきた表現を利用する理知的な技巧が合わさった、絶妙な歌だ。
まだ冬の厳しさの中、ちらちらと雪が落ちる日が続くころ。それでも自然は着々と春の準備を始めて、梅の枝の先で少しずつ蕾が膨らんでいる。そんな中に、気の早い鶯が春を待ってやってくる。季節の移り変わりと、春の静かな訪れを感じさせる、こんな光景が目に浮かぶ。
「二条后」という人物は、藤原高子(たかいこ)というと伝わる人も多いだろう。『伊勢物語』において在原業平と恋に落ちたとされる、高貴な姫君だ。清和天皇の女御となり、のちの陽成天皇を生む。業平との蜜月はその入内前とされており、深窓の令嬢で天皇の女御となることが決まっている高子との恋は、禁断の恋なんて言われている。このあたりの話はいずれまたどこかで。
とにもかくにも、高子という人物は古典の世界では非常に名の売れている人である。だけれども、彼女自身のイメージは「業平と禁断の恋に落ちた若き姫」や「清和天皇との年の差婚」など。そしてまた、後に陽成天皇諸共、政治の世界から排斥される形となる。このあたり、自分もあまり詳しくなく、軽く調べたところ様々な見解があるようだ。
私の中の高子のイメージは、『伊勢物語』六段芥川が大きい。
身分差で結ばれない業平が、高子を連れて夜中に駆け落ちをする、とくに有名な段。そのなかに、こんな一説がある。
芥川といふ河を率ていきければ、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。
深窓の令嬢は、夜闇の中に草の上で光る露すら知らない。真珠かしらと、無邪気に言う。今まさに駆け落ちをして、野道を行く最中に、なんと呑気なことだろう。だけれども、恐らくほとんど初めて歩く外の世界、その世界に対するおおらかな憧れと、まるで子供のような無垢が光る一節だ。
『伊勢物語』は作者不明の古い物語である。業平と高子の恋が史実としてあったのかは、非常に疑わしいと個人的には考えている。
では、実在した藤原高子という人物は、本当はどのような人物だったのだろう。入内するために育てられ、政治の道具として利用される宿命を背負った姫君だ。あらゆる教育を受け、当然和歌・漢詩にも精通していただろうことは、想像に難くない。
「かれは何ぞ」と、露を見て幼い瞳をきらめかせる少女の姿は、あるいは高子周辺サロンで作られた、こうありたかったという夢想の物語なのかもしれない。
実在した高子の痕跡を追うには、勉強不足なこともあり、確かなことは何も言えない。
それでも、「うぐひすのこほれるなみだ」という表現から、中国文化への深い造型を持つ知的な女性像と、繊細に季節や自然を捉える柔らかさを感じさせる。「かれは何ぞ」とつぶやいた無垢さは、全てがすべて偽物ではないのだろうかと、そう思わせてくれるのだ。
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和歌がとても好きで、自分が小説を書くときに、イメソンとしての和歌を探すことがある。どうやったら、もっと様々な人の日常に和歌を関わらせていけるのだろうかと、ずっと考えている。
和歌は千年続くイメージの泉だ。
多くの人の読みに耐えた表現力は、ちょっとやそっとじゃ揺るがない美しさと強さを持っている。
もっと生活の節々に、季節を感じるように和歌を感じてもらうには、どうすればいいのだろう。
これから、古典に関わっていく人間として、考え続けなくてはいけない問題だなあ。
和歌イメージのアクセサリーとか、作ってみたい。
日常に和歌をまとえたら、これ以上素敵なことはない。
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