夏が終わるころに思い出す曲と、父からの贈り物
夏の終わりになると、思い出す曲がある。
80年代、人気を博した「DURAN DURAN(デュランデュラン)」の『Save A Prayer』だ。
ちょうど13歳か14歳。不登校やらなんやらで、両親に心配をかけていたころ。
夏休みの終わりか2学期が始まった辺りか。その頃の私にはあまり関係なかったんだが、夏の終わり。
いつものように大音量で音楽をかけていた私に、母が。
「初夏がいつも聴いているので、こういうのあるじゃない?」と、『Save A Prayer』のイントロを口ずさみ始めた。ちょっと調子外れなところに、思わず笑っちゃったが大真面目な母。
「あの最初(イントロ)のところ聴くと、耕野(宮城県の母の実家)を思い出すのよね。あの曲、お母さん好きだわ」
反抗期で子どもだった私は、母が自分の機嫌をとっているようで。なんか媚びられているようで、とても嫌だった。
でもうちの母って、すごく純粋で子どもみたいな人。
それから数年経った頃、「あれは本当に、実家の景色を思い出してたんだろうな」と気付いた。
あの頃の母は、まだ40歳くらい。不登校が終わりそうと思ったら、遊びに行っては帰ってこない娘に心を痛め。あの曲のイントロ部分を聴きながら、何を思っていたんだろう。何を思い出していたんだろう。
そう思うと、胸が苦しくなり申し訳ない気持ちになる。
そして今でもなんとなく、夏が終わるころになるとこの曲を思い出すのだ。
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もともとは家から、電車とバスで1時間半ほどのところに住んでいた両親。4年前に亡くなった父が、大腿骨骨折で車椅子の生活にになったときに、近所に越してきてもらった。
自転車で7〜8分の距離なので、何もなければ週末の夜は一緒にご飯。他にも買い物やらなんやらで、母のところへ行くことが多い。
「こうやって初夏の近所に住めたのは、お父さんのおかげだと思うの。痛い思いして可哀そうだったけど、あの骨折がなかったらここに越してはこなかったもんね」と、よく母は言う。
そして仏壇の父の写真に、「お父さん、ありがとうね」と声をかける。
うん、私もそう思う。母と過ごす時間は、父からの贈り物だと思う。
母のことが大好きだった父。たまに言ってしまう母への文句は、見逃してね。