【筆後感想文】『丘の上に吹いた風』を書いて
感想文と言いながら説明と解説になっていました。
語り過ぎず手短かにし、感想もちゃんと書いてみようと思います。
この筆後感想文も含め、なぜあれこれ企画しているかというと孤高操業だからです。誰かがやってくれるわけじゃないんで。
筆後感想文はBehind the scenesの位置づけで始めました・・・・・・のような説明をしないと理解されないのかもしれませんが、この企画もいつしかフェードアウトするのか、あっさりと季節のご挨拶に吸収されるのか、どうなることやらです。
まずは感想
要休憩。
一作終わるごとに休みが必要だということに気づいた・・・・・・なんて書くと格好はいいが、要は根詰めてもしょうがないということに気づいた。私は何を急いで次々書いていたのだろうかと考えてみると、知らずしらずに日々入れ替わるネットコンテンツのスピードに引きずられていたのかもしれない。全くもって愚かだった。
最初のドラフトは紙に書くことと、パソコン作業時の画面を常時夜間モードにしてブルーライト対応眼鏡をかけることで、かなり黄みがかった世界にいるため目の疲れは軽減されている。それでも次の作品を書く前に一旦仕切り直す時間と見直しの際に疲労した目と脳を休ませる時間は必要ではある。この筆後感想文を書くことがそれに役立っているかというと何とも言えない。
チャレンジ
スタイル
よせばいいのに毎回何かしら挑戦をしている。
今回は一作目のスタイルを踏襲したことがその一つ。例えば、各章の終わりに吹く風の様子がそれで、今回は一応七五調やら七七調やらになるようにしてみたりもした。リズムが生まれるという意味での調子がよくなるため、コミカルなところもあったかもしれない。
スタイルの踏襲はしたことはしたが、それでも一作目と今作のスタイルを更に寄せていく作業は必要になると思う。一作目を書いていた頃と今では、書き方が変わってきているからだ。小説の書き方など何も知らずに書いた小説のスタイルを踏襲するということ自体が無謀だが、その肝心の一作目『丘の上に吹く風』が現在見直し中という本当にどうしたものかという状況でもある。考えていてもしょうがないということで新作を進めている。一作目については熟成させる必要があるからしばらくそっとしておく。
同じことを何度も言ったり、言わなかったりした
同じことを何度も書いたりした。意図的な場合もあるし、自然にそうなることもある。反復的だったりもするかもしれない。
一方、同じ言葉や表現はなるべく一作品中一回にして、二回以上出てくる場合は別の言い方にしてみてもいる。そんなルールなどないのだろうが。
これは難しくもある。なぜ難しいかというと、駆け出しだからに他ならない。重複する言葉を無理に変えようとすると、シンプルでなくなったり、話の進む速度に合っていなかったりして、バランスをとるのが難しかった。全体の構造自体を変えればいいのかもしれないが、それはもっと難しい。まずプロットなしで書いているし、技巧派でもなければ技巧派になれるとも思っていないわけで。
実際どうやって重複した言葉を直しているかというと、下書きをパソコンに打ち込んだ後にめぼしい言葉をWORDの検索機能で検出してから、類義語辞典を引いたり、頭をひねったりして首の筋を違えたり、逆に寝違えた首が治ったりしながらぼちぼちやっている。これだと思う言葉がすぐに見つかることもあれば、数日かかる時もある。見つからない時は印をつけておく。新しい言葉に遭遇したり、これはこれで楽しかったりする。宝探し的な。
同じキャラクターを何度も出す
『ルチアーノ -白い尾のオナガ-』に出てきた青い尻尾のトカゲを今回も登場させた。こういった自然現象については邪魔をしないようにしている。
今回は人間から見たトカゲを書いた。同じキャラクターを複数の作品に登場させるとワールドが更に横に広がっていくように思う。
蛇足か?
続編は蛇足だったかもしれないということは書いている途中で気づいてはいた。当初(一作目を書き終えてすぐの頃)は短いスピンアウト程度の予定だったが、いざ書き始めると長くなった。今後発表する作品の橋渡し役にはなりはしたが、これなしで今後の作品が発表できないかというとそうでもない。橋をすっ飛ばしたからといって成立しないわけでもない。でも書いた。ぽろぽろ出てきたからだ。
足のあるヘビだっている。カナヘビがそうだ。カナヘビはトカゲの仲間であって、そもそもヘビではないが、人間が人間の都合であのトカゲをカナヘビと名づけ、当のカナヘビはそんなことは知ったこっちゃないにも関わらず、蛇なのに足があると思われている。それでカナヘビはそんなことを気にしているかというと、全く気にもしていなければ、自分がカナヘビだとも思っていなかったりする。私は一体何を書いているのだろう。
Finding My Voice
蛇足だと 分かっていても 筆すすめ
それでも色々試しながら書いているのは、自分のスタイルを見つけるためというのもある。
国外の小説執筆に関するコンテンツで、「Writer’s voice」、「How to find your voice」という括りで説明されているものがある。これとマッチする日本語コンテンツは「地の文」とか「スタイル」どうのこうののことらしい。たぶん。
いくつか観たり読んだりしたところ、ここで言うボイスというのは人それぞれでユニーク(唯一無二の意)なものだという見解が多かった。また、自分のボイスというのはすでにその人が持っているもので、わざわざ作り上げたり、新たに取得するものでもないという。ゆえにボイスについて語る時には必ず「Find」という言葉が使われる。それで諸先生方は口を揃えて、それを見つけるにはとにかく書くことだと言う。コツがあるとすれば、一切期待しないことだそうだ。
私が求めているアドバイスがあるとするとこういうことだ。テクニックはもちろん大事だろうし、鮮やかな技巧を否定するつもりは全くない。しかし、それはそれを得意とする人にお任せするのがいいわけで、結局は美しさをどこに求めるかということでしかないようにも思う。もちろんそうは思わない人もいるわけで、それもそれでいいと思う。争うことではない。
旅は続く
人が紡ぐ創造は商業とは違うスピードを持っていて、次から次へと凄いスピードで排出されるコンテンツと同じ速さで出てくるものばかりではないんじゃないか・・・・・・みたいなことを書くと、途端にギリギリといきり立つのは商人、あるいは商業に毒された消費者だろう。次はまだかとイライラしながらスマホの画面をスワイプして待っているぐらいなら何か創ってみるのもいいと思うが。
それにしても世知辛い世の中だ。
ちょっとサイトを更新しないだけでゆるやかな衰退とか、勝手に決められちゃうんだから。
わざわざ商業にルビふった理由ですか?
軽さという重みを出してみたのです。
旅は続きます。別の形で。
チャレンジも続きます。同じような形で。
私にも失敗する自由はあるわけで。
受験じゃあるまいし。
なんちって。
短編小説『丘の上に吹いた風』
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