【短編小説 丘の上に吹いた風 8】泣き笑い地蔵
8.泣き笑い地蔵
話はあっという間に広まった。
三田が知った時には、静かな山間の集落はその話題で持ちきりだった。
お地蔵様もあの事件を悲しんでいるのだろうという近所の住人達の話を、全くの当て推量だと片付けられず、三田は薗と連れ立って時折地蔵堂を訪れるようになっていた。
話を聞いて訪れる者が増えたのか、地蔵堂の中は供え物でごった返していた。
「サンタ先生、お地蔵様今日も泣いてますね」
目を糸の様な月にして微笑む地蔵菩薩の両目から流れた涙は頬を伝い、丸い顎先からしたたって赤い前掛けに大きな染みを作っていた。
収まりきらない供え物をいくつか動かして場所を作り、小さく握ったおにぎりが二つ乗った小皿を置くと、薗は目を閉じて手を合わせた。三田も薗の横にしゃがみ、手を合わせた。
地蔵菩薩に聞きたいことは山ほどあった。けれどそのどれにも答えがあるようには思えず、結局今日も何一つ切り出せぬまま目を開けた。
隣の薗はまだ手を合わせていた。
「お地蔵様の話が村長さんの耳に入ったらしいんだ」
柵など据えては障りがあるかもしれないと、信心深い村長は柵の設置を中止するようあちこちに働きかけているという。
「複雑です・・・・・・」
なんとか絞り出すように答えた薗に、三田は返す言葉が見つからなかった。
決して忘れることはない。けれどそれを言い訳に止まっていてもいけない。その両方に引っ張られる思いは三田も同じだった。
庭仕事で痛めた総身に言うことを聞かせて、うんしょと立ち上がった。
振り返るとうっそうとした木々の隙間から丘が見えた。
「ここから全部、見ていて下すったのか・・・・・・」
空はからりと晴れ、丘の上の梅の葉はちらちらと日の光をはじいていた。
陽太と美月が木陰のベンチに座って散歩の時間を楽しんでいるようにも、風となって丘の上を駆けまわっているようにも思えた。
こんな間に合わせの思いつきで無理やりに取りなしている自分が情けなくはなったが、それでも未だ泣き出しそうな心を取り繕う分には役に立った。笑いながら涙を流す地蔵菩薩がお前と一緒だと言ってくれているようで、少し気持ちも晴れた。
「さてお薗さん、戻ろうか」
薗はさっと目を拭い、立ち上がった。
道脇の神社にさしかかると、水守が長い石段を降りてくるのが見えた。三田と薗に気づき、手を振っている。
何かいい知らせのような気がして、三田は大きく手を振り返した。
「本当に何も変わっていないのかもしれないな」
三田は来た道を戻りながら、誰に言うでもなくつぶやいた。
「これ待ちなさい、お二人さん。供え物は嬉しいが、そのにぎり飯だけは勘弁してくれんかのう。わしを泣かせておるのはそれなのじゃ。それにのう、こうしょっちゅう皆に詣でられたら、おちおち出かけることもできん。わしが懇願するなど滅多にないことなのじゃぞ?」
地蔵菩薩はずずっと鼻をすすった。
「わしの声はちっとも届かん。わしは皆の話をさんざん聞いておるというのに」
錫杖をとんと突いてシャンと鳴らしたがそれも気づかれず、地蔵菩薩はまたぽたっと一つ赤い前掛けに涙を落とした。
潜っても 潜っても 青い海(種田山頭火風)