見出し画像

おまけ② 願い

願い

息子を怒鳴りつけてしまった。
あのゴムの木に斧を突き立てたと、まるで英雄かのような口ぶりで話す息子に腹が立った。病床に伏し、もう二度とあのゴムの木を訪れることができなくなったと知り、様子を見てきて欲しいと頼んだのは私だ。しかし傷つけていいなどと言った覚えはない。
「だったら最初にそう言ってよ」
息子は口を尖らせた。何よりそうやって逃げる息子が許せなかった。だからせせら笑ってやった。
「僕は父さんのためにやったんだ!」
息子の目にみるみる涙が溜まっていった。病室を飛び出した息子の後ろ姿を見送りながら、これが最後に見る息子の姿になるだろうと思った。静かにドアが閉まると、また一つ何かが終ったことだけは分かった。私もあのゴムの木と同じように訪れる者を失ったということか。
 
私がしたことはどうだ。
学問的な興味からであったが、ゴムの木の生育可能な北限に挑みたいばかりに無茶なことをした。あの森はブルーベリーが群生するような所だ。ゴムの木には寒すぎる。それを分かっていて植えた。あのゴムの木に酷いことをしたのは私も同じではなかろうか。
しかし息子は不思議な話もしていた。
ゴムの木のまわりに落ち葉が集められていたという。あの森に出入りする人間もいるだろうが、あれをまだ若いゴムの木だと分かり養生してやった者がいるということか。だとすれば救いがなくもない。
 
声を張り上げて疲れてしまった。少し眠ろうか。
目を閉じると思い出すのは五年前に他界した妻のことばかりだ。
妻もこの病院に長く入院していた。ある時、「ねえ見て。花壇の花がきれい」と言った妻に、次の学会で発表する論文に目を通していた私はああとそっけなく答えた。妻は「植物学者なのにちっとも見ないのね」と笑った。私は一寸窓の外に目を遣り、またすぐ論文に目を戻した。
こうしてしばらく妻との思い出に浸り再び目を開く度に、違う人間になっているかもしれないという淡い期待と、微笑む妻がいるのではないかという愚かな願いがよぎるが、そこにいるのは何一つ変わらぬ自分だけだった。
妻もそろそろ迎えに来てくれてもよさそうなものだ。私から離れて束の間の独り身を謳歌するにしては少し長すぎやしないか。しかし果たして妻は再会を望んでいるだろうか。桁外れの赦しがない限りそれは難しいように思える。
 
雲は流れ、木々の葉は色を変え、窓の外は刻一刻と姿を変えていく。
落ちて枝に引っかかった松の針が連なって、カーテンのように涼やかに揺れていたが、あれも今はすっかりくたびれているだろう。
私はどうだ。
この体が回復するなどという期待はしていない。だからなのか、あるいはこれが報いか、私という者は何一つ良くなりはしない。殺風景な病室で息子の置いていった花だけが生きている。

花壇に目を遣ると花が咲いている。
私の目ではもう何の花かも分からぬが赤い花だ。あの日妻に見てと言われ、ちらりと見た花も赤かった。
悔い詫びろというのであればそれでもいい。妻に会いたい。
「ないものねだりね」
惨めな私を高みの見物とはいいご身分じゃないか。
「あら、見守ってるのよ」
もういいから連れて行ってくれないか。
「そうね、考えとくわ」
お前まで見放すというのか。
柄にもなく戯れごとまでするようになってしまった。
花壇の赤い花は彼岸花ということにして、間近と思えば気も晴れる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本編とおまけ①はこちらから →
森のアコーデオン弾き


いいなと思ったら応援しよう!

麗野鳩子 | Hatoko Uruwashino
潜っても 潜っても 青い海(山頭火風)

この記事が参加している募集