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エッセイが書けない

書けると思っていた。
甘かった。エッセイのリアリティは小説の中で醸されるそれとは違うように思う。書き手とリアリティとの距離感も随分違う気がする。近いんだな、これが。
それに、毎回意気込んで書き始めるものの、書き終わると全く別のものになっていたりもする。まあそれはそれで楽しんではいるが。ところで小説(注1)はちゃんと書けているのかと問われても、それは愚問だ。なにしろ自由形フリースタイルのたまって、いまだジャンルも分からずに書いているのだから。唯一言えることは、フィクションだということぐらいだ。どうやら一作目では、数多あまたの愚行(注2)を冒していたようだが、小説を書くこと自体は愚行ではないと思っている。

そういったわけで、勝手にハードルを上げられても困る。いつのまにやら、走り棒高跳びかと見紛みまがうほどに高くされていることもある。こっちは棒など持っていないのだから飛べるわけもない。棒があれば、もしかしたら闇練やみれんぐらいはするかもしれぬが。
 
はてさて、これはエッセイと呼べる代物になったのだろうか。一つ前に書いた軟度高めの硬いやつ(注3)は、はたしてエッセイだったのだろうか。いやしかし、思い込みも芸のうち。本文より長くなってしまった脚注なんて気にすることなどない。脚注に更に脚注が付くというカオスな状況も、慣れてしまえば気にはならない。さっさと高らかに宣言してしまえばいいだけだ。
 
これはエッセイである。


ご参考まで。
難度 ★★★★★
 
————————————
注1 短編小説デビュー作『丘の上に吹く風』のこと。
 
注2 『素人の皆さん、小説でそれやっちゃダメですよ』系の記事で指摘されている事を、ほとんど全部やらかしていた。あーいるいる、ほんとこういう初心者多いよなー、と失笑されるレベルのことまでだ。我ながらよくやったもんだと、やりきる性分(注4)の自分をたたえることにした。
まず、物語の中盤で主人公が不在となる事態は避けねばならなかったようだ。
ざっくりまとめると、

読者が感情移入できるのは基本主人公だけなんだから、ひたすら主人公を中心に書いて下さいよ初心者なんだから。それ以外やめといたほうがいいですよ、どうせうまくいかないんだから。脇役の細かい描写とかそんなのいらないんですよ、作者としては脇役にも愛着湧くのはわかりますけどね。

とのこと。
更には、

モノローグもどうなんですかね、擬音語もちょっと、プロローグとかいらないんで、と挙げればきりがない。そういうわけだから、エピローグについては言及さえされない。

『僕』、『私』で始まるのもよろしくないという方もいたが、

じゃあ夏目さんの吾輩は猫である作品はどうなんだ?
レジェンド(注5)だから許されるのか?
猫ならいいのか?
それとも、名前はまだないからギリギリセーフなのか?

といった面倒な苦情が来ないように、ライターさんも私見である旨を明記している点はなんともうまい。
ただ一応言っておくと、『丘の上に吹く風』は、主人公の陽太で始まり陽太で終わるというソナタ形式なわけで、風になった陽太は美月と共に最後まで出ずっぱりでもあった。主人公は最後まで生身で登場し続けないとダメなんてルールまであるんですかねぇ・・・・・・。知らなんだ。

事前に小説の書き方ハウツーの類をもう少し読んでいれば、ある程度のことは避けられたのだろう。しかし、後悔はない。むしろ読まなくてよかったかもしれない。書く前からあんなにあれもダメこれもダメと言われたら、たぶん書くこと自体やめていた。
 
で、草葉の陰の物書きモドキでもちょっとくらい思ったりはする。
そうやってダメダメ言って画一化を図ろうとしてるんですかね、とか。みんなで揃えてどうするんですかね、とか。そのルール全部守ったら面白い作品になるんですかね、とか。だったらもうテンプレートでいいんじゃないですかね、むしろテンプレート勧めてますよね、私はお断りですけど、とか。書いてみて気づいたが、ちょっとどころか色々思うところはあったらしい。

名誉のために言っておくと、一応基本的なお作法は事前に読んだ。三点リーダやら、ダッシュやら、カッコ内のルールやらのことですがね。
 
注3 『はと子劇場』こけら落としエッセイ『硬いエッセイ』のこと。

注4 とにかくやりきることにしているのは、中途半端なほうがかっこ悪いと思っているためだ。もとい、やりきろうが、中途半端だろうが、どのみちかっこ悪いんだからやりきるほうを選んでいる。
 
注5 レジェンドについては、別のエッセイ待機中です。どうぞお楽しみに。

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麗野鳩子 | Hatoko Uruwashino
潜っても 潜っても 青い海(種田山頭火風)

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