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2021/05/10 サラダの「サラメシ」

「きょう何食べる?」。家族で繰り返される会話のベストワンが、これではないかと思う。それだけ食と家庭のつながりは深い。私は大の偏食家なので、付き合ってもらって申し訳ないと思う。私が調理担当なので、基本、苦手な食材は食卓に上らない。例えば、ちくわ、練り物全般、こんにゃくなど。一緒に食べない時に食べてね、と言っている。

幼いころは食が細く、嫌いなものが多かった。夕食を食べるのに2時間以上、かかって、いつの間にか眠りほうけて、よく叱られたものだ。

小学校の給食は、苦痛以外、何ものでもなかった。今はアレルギーへの対応も進み、完食しなくても許されるが、30年以上昔は、全部食べ終わるまで席を立ってはならないという掟があった。

特に覚えているのは、五目豆。中に入っているこんにゃくがどうしてもダメだった。睨めば消えてくれないだろうかとばかりに凝視すれど、こんにゃくは消えず。昼休みを過ぎ、掃除時間に突入しても、埃舞う中、私は一人机に向かっていた。そのうち、周囲の目をごまかして捨てるというズルを覚えた。それがトラウマで、今でもこんにゃくは口にできない。

幸い実家では完食の強制はなかったが、それでも食べたい気分ではない献立が出た。社会に出て一人暮らしを始めたとき、一番自由を感じたのは、好きなものを食べられることだった。そのうち自炊を覚え、食の楽しさに初めて目覚めたように思う。

30代になって料理教室に通うようになり、パラパラチャーハンやロールキャベツ、チキンソテーを上手に作れるようになった。料理とは、生きる力そのものだと思う。苦手という人もいるけれど、全く包丁を握ったこともなかった私から言えば、経験値が足りないだけだと思う。鍋を焦がしたり、調味料の配分を間違えたり、数々の失敗を乗り越えて、上達していく。男女を問わず、料理力は身に付けておくべきものだと思う。

私は買い物に行くときは、あらかじめ献立を決め、それに必要な食材をリストアップしている。献立の半分はリクエスト、残りの半分は食材のローテーションや旬のもの、お買い得品から組み立てる。

「何食べたい?」と聞かれ、ゼロベースで考え出すのはしんどい。しかし、我が家の場合は、献立の候補から選ぶ仕組み。毎日一緒に同じものを食べていると面白いもので、家人とは食べたいものがほぼ一致している。

前置きが長くなったが、この日は珍しく昼食を外でとった。さっぱりしたものが食べたかったので、サラダランチにしてみた。何を食べたいのか分からない人もいるかもしれないが、私はだいたいはっきりしている。頭が、というよりも、腸が決めているような気がする。山盛りのサラダはビーンズがいっぱい入っておいしかった。人間、食べたいものを食べている時が一番の幸せである。


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