銚子街道十九里半#8
ー佐原事件ー
利根川土手に登り、東に歩き出した。
布佐から松戸までを歩く鮮魚街道の旅は三度で力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれたこの利根川に沿って、布佐から銚子まで下ろうと思う。つまり、ここから利根川の水が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。この道を銚子街道(利根水郷ライン・国道356号線)と呼ぶらしい。
布佐河岸に標識が立っている。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。約十九里。
*
4月下旬。快晴。
7時の電車に飛び乗った。昨日は叔母の葬儀の打ち合わせにライブ前のベースの練習と朝からバッタバタだった。最後はうとうとしながらZIGGYの名曲グロリアのコピーを練習した。もうライブまで幾日しかないので完コピをせず、いかに手を抜きそれらしく聴こえるかを練習する。そんなことをしていたら午前4時になろうとしていた。2時間だけ仮眠を摂り、シャワーを浴びて洗濯機を回した。
一澤帆布のカメラ鞄はきちんと前日に準備をしていたので、そいつをすっと抱えて嫁や子どもを起こさぬように抜き足差し足忍び足で家を出たのだ。
京成線はすんなりと座れた。目の前に座っている女子高生二人は付き合っているのだろうかってほど仲がいい。百合案件である。二人とも完全に私服だが、この揃いの垢抜けなさは部活のチームメイトなのだろう。ちゃんと男役と女役のキャラ分けがされていてなかなかお似合いのカップルなのだ。私はゲスいので付き合っている証拠を見つけようと薄目をあけ眠らずにチェックしている。なにせ二人の手と手が触れ合うか触れ合わないかのギリギリの密着度なのだ。結局二人は手を繋がずに途中駅で降りてしまったので眠ることにした。いや、逆にワンチャン電車を降りるときに手を繋いでくれたら私もこの後の電車旅で安眠を得られたかもしれない。
下衆の勘繰りってやつだ。
京成成田駅には思っていたよりすぐに着いた。もう、この長いルートも慣れてしまったのかもしれない。次に乗り換えの成田線銚子行きの電車が来るまで、50分間の待ち時間がある。
毎度おなじみの成田朝食問題である。
今回は意を決して駅向こうの牛めしの松屋まで足を伸ばそうと思う。徒歩10分くらいだろうか。往復で20分。つまり、あと残り30分も優雅なもぐもぐタイムがある。
京成成田駅を大きく迂回して線路を跨ぎ、見晴らしのいい丘をくだり、国道51号線沿いにある松屋に入った。こんな時間なのに意外と3人ほどの先客がいた。店に入るなりおじさんが食券機で立ち往生している。お釣りが出ないらしいのだ。店員が出てきて慌てて対応していた。そして今度は私が食券機で買う番である。すると店員が「食券機が故障してお釣りが出ません」と言う。だが「カードや電子マネーなら問題なく使えます」とも言うので、ICカードで〝ごろごろチキンカレー(780円税込)〟を購入した。私の後の客はみんな現金だとお釣りが出ないことを知らされていないので、食券機にエラーが出るとその都度店員が出てきてお釣りを渡すと言う地獄のルーティンが始まっていた。「現金のみ使えません」という貼り紙一つで解決するのにそれをやらない。3人で回している店で、使えない食券機に店員一人を割いているので当然食べ物の提供も遅れている。
店員のおばちゃんがお釣りを渡す相手を私と間違えて、牛乳配達のおじさんはブチギレていた。なぜ私がおじさんの仕事が牛乳配達なのか知っているかというと、ジャンバーに牛乳メーカーのロゴがデカデカとプリントされているからである。イライラするならカルシウム不足だろう、牛乳をおすすめしたい。
おいおい煮込むとこから作ってんのかよってくらい凄く遅れて食券ナンバー128番、私のごろごろチキンカレーは呼ばれた。このたいそう長い待ち時間のせいで私の優雅な朝食時間は失われ、残されたアディショナルタイムは立ち食いそばをかっ食らう時間よりも短くなってしまった。
ごろごろのチキンがもの凄く熱いが、少林寺三十六房の修業の如き速さでハイッハイッハイッーッと食いあげた。なにせ成田線銚子行きは電車の本数が極端に少ない。ごろごろチキンカレー程度で乗り遅れるワケにはいかないのである。
急いで店を出た。電車は8時40分に発車してしまう。これを逃すと次の電車は9時40分になる。松屋に来る時に見晴らしのいい丘が、帰りには心臓破りの坂道になっていた。
ゆったりと朝の成田の散歩を楽しむ外国人を尻目に私は駅へと急ぎに急いだ。改札をくぐり、まだ5分ほど時間があることを確認してからトイレに向かった。
しっかりと水分を絞り出すと銚子線の待つホームに向かう。案の定、電車はすでに来ていて車内もかなり混雑していた。かろうじて空いていた横並びのシートに座る。するとまもなく電車はのろのろと走り出した。とりあえず寝ることにした。ここから目的地の下総橘駅まで55分もかかる。乗客はみんな佐原に観光に行くのだろうか、羽虫のように小うるさいおばちゃんたちのノイズも今ではいい子守唄である。
達者でな。
9時8分。電車がけたたましい警笛音とともに急停車した。
ファーーーーン!のあとキーーーーーッ!というブレーキ音だったので思わず身構えた。しかし最後に衝撃がなかったので衝突は回避したのだろうとたかを括っていた。
しばらく電車は停車している。
ざわざわとした後のしーんと静まり返った車内に車掌からのアナウンスが始まった。乗ってるこの電車が踏切に侵入したトラクターと衝突したらしい。場所は佐原駅の手前付近だ。トラクターは縁石に乗り上げ身動きができないでいるという。レッカー車が来てトラクターを線路から移動するまで、ここにいろというのだ。そして車掌は念を押すように「窓や扉から絶対に外に出ないでください。万が一お客様が外に出てしまいますと、さらに安全確認をする必要があるので運転再開まで余計に時間がかかってしまいます」と警告する。
これは逆に睡眠時間を確保するチャンスと思いオモキシ寝た。目が覚めると前に座っていたペチャパイギャル2人がタイ人のガリガリ男2人に変わっていた。マジックいやイリュージョンのようだ。しかしいくら寝てもまるで電車は動こうとしない。
トラクターを動かすためにレッカー車を手配しているがレッカー車が到着するのに1時間かかるというのだ。
私はトイレをチェックするフリをして斜め前の地味目な爆乳ちゃんをチラチラ見ながら、もう一度寝落ちた。今度はガリガリのタイ男2人がペラペラの男子高校生2人に変わっていた。スロットマシンのように私が寝るたびに前の乗客が変わるのは、みんなトイレに行くからである。電車内のトイレは長蛇の列。トイレがある電車で良かった。しかし私はきっちりと成田駅で絞り出してきたから大丈夫だった。あの時、まさかこんな目に遭うとは思わずに。
車内アナウンスで「危険ですので前方の1輌目のお客さまは2輌目より後方に移動してください」と放送された。民族大移動である。私はラッキーなことに後ろから2輌目だったので動かずに済んだが、ゆったりと座っていたのに空いてる隣りに移民の分際でオババが無理くり座ってきた。
消防車と救急車のサイレンが鳴り響く。
定期的に車掌が具合の悪くなった乗客がいないか確認にやってくる。もう寝すぎて疲れた。文庫本を2冊持ってきてよかった。
1時間を超えてもレッカー車は来ない。窓の景色は以前変わらず、電車を見物しに来ている野次馬も見えた。恐らく駅近くの踏切はずっと閉じたままだろう。電車の外の世界では交通渋滞も起きているはずである。
窓からは眩しいほどの日差しが降りそそいている。今日はまさしく撮影日和なのだが、なぜこんなところに幽閉されているのか。電車が止まっているあいだに目の前の農家の庭に植えた花や盆栽、植木をじっくりと見ることができた。電車が停まってないとなかなか見れる景色ではない。こんなにたくさんの人の目にさらされることはもうないだろう。しかしそれもすぐに飽きてしまう。
トイレはますます混雑してきた。人気アトラクションのように行列は絶えない。座席にバッグを置いたまんまトイレに並ぶおばさまもいる。トイレから離れた私の目の前にまで行列はつづく。
しばらくするとレッカー車が到着した。
JAFだった。
てっきりJRの対脱線特殊部隊DASSTみたいなのが来ると思っていたので肩透かしを喰らった。しかしそのJAFも苦戦しているのか、そこから状況が一向に変わらない。そしてふたたび車掌からのアナウンスが流れた。車輌後方運転室のドアを開けて乗客を降ろすというのだ。さらにはそこにバスもチャーターしてあるので駅まで送ってくれるという。
となりの鉄道オタク2人は狂喜乱舞している。金を積んでも得られない激レア体験が今ここで展開するのだ。
しかしこの2人と私は同じグループと思われているのだろうか。こいつら同様カメラをぶら下げているからである。まぁいい。私はあの地味目な爆乳ちゃんと、ともに手を取り合いタイタニックのように下車するのだ。
客が一同にわれ先にと運転室に押し寄せた。
佐原の民よ、落ち着きたまえ。
きっとどこか遠い国で
僕よりつらい心の人がいるのだろう
おーい雲よ僕はいい我慢できるよ
思わずドラえもん1992年の映画版「のび太と雲の王国」の主題歌(海援隊)をこころの中で口ずさんだ。
私は最後でもいい。なんならこの顛末を写真に残したい。トイレの行列なのか下車する行列なのか何がなんだかわからない。もうぐちゃぐちゃである。
さらに車掌アナウンスは続く。「車輌前方からも下車できます!」
流浪の民たちはさらに混乱した。窓の外には脱出した民たちが蟻のように行列をなして線路際を歩いている。それを見て気がはやるのかさらに民たちはわれ先にと畑中葉子のように後ろから前からどうぞしている。
大分空いてきたのでそろそろ私も脱出しようと斜め前を見ると地味目の爆乳ちゃんの姿はもうとっくに無かった。
私はほぼ最後の客で、私の前には例の鉄道オタクがキャッキャしている。車掌が降り方をレクチャーしている。「しっかりと両手で手すりに捕まり、足がステップにかかったらゆっくり降りてください」と言われた。シャア少佐のように颯爽と降りるつもりだったが、思いのほかドアが高い位置にあったので、降りるのは結構難しくダサい降り方になった。
私も作業員に見守られながら線路脇を歩いた。事故現場の踏切の手前で衝突したトラクターを見たが、グシャグシャでなんだか分からなかった。乗っている人は直前に無事に逃げたようで、傍らに佇んで携帯で誰かと話していた。
混沌とした事故現場付近でJRが手配した送迎バスを探したが見つからなかったので駅まで歩くことにした。
結局2時間半も電車に閉じ込められた。
最高に良い天気なので、私の外にもカップルとかおじいさんおばあさんのウォーキンググループ、あと父子が方々に歩き始めた。
カップルはすぐに複合商業施設「サワラシティ」に入っていった。多分トイレだろう。
歩き始めてすぐに渡れない川にぶち当たった。右に行くか左に行くか。見渡すかぎり橋もないので私は前回来たときの土地勘を活かして左の道に向かう。ウォーキンググループと父子もこちらのルートを選んだ。そう農家の軽トラのスタックを手伝って駅まで送ってもらった時の場所だ。車窓から大体の位置は把握していた。そこからなら余裕で帰れる。なまじ知らない道を選んでタイムロスしたくない。
あれだけの乗客がいて、たったこれだけしか佐原駅に向かって歩いていないということは、JRの振替輸送バスは多分ほぼ全員を乗せて発車しだのだろう。我々最終組は置いてきぼりにされたのだ。とにかく駅に着いて電車の運行状況を知りたかった。ここは千葉県の北東、水の都佐原市。下手すりゃ家に帰れなくなる。
あっという間に駅が見えてきた。駅から一番近い踏切は警告音が鳴り止まない。遮断機は閉まったままで、パトカーが線路を挟みバリケードを作っている。まるで西部警察のようだ。歩行者は近づいてもなにも言われなかったが、車は近づくとすぐにホイッスルがなり、迂回の指示を出されていた。
歩道橋を渡って佐原駅正面口に回る。案の定難民たちでごった返している。とりあえず改札口まで向かうが成田線は銚子行きも成田行きもビタイチ動いていないようだ。このタイミングで前回に佐原の小江戸を撮影していなかったので撮りに出かけても良かったのだが、なにせこんな僻地でのトラブルなので情報収集してからにしようと思う。すると見覚えのあるあの爆乳ちゃんが群衆に揉まれていた。
いや、揉まれているのはオッパイではない。
多分、バスがやっとこ到着したのだろう。まさか歩いた方が早かったのか。他にも何人か見覚えのある客がいた。
混乱しまくっている駅のアナウンスで「まもなく成田行きが到着します!」と駅員が放送した。
私はたまたまそこにいた白い制服を着た駅長に、事故のあった電車に乗っていたのだが、時間がもう間に合わないので改札をスルーしてそのまま帰ってもいいか訪ねた。駅長は大丈夫だと答えた。駅長が大丈夫だというのでそのまま帰ることにした。なにせ次にまた確実に電車が来るなどという保証はどこにもない。電車がこうして動いているうちになるべく成田に帰ったほうがいい。
やっとのことで再開した成田線はめちゃくちゃ混んでいた。一番後ろの車輌に並んで大正解だ。私は今日の目的地である下総橘駅を諦め、家に帰ることにした。成田駅に着いて京成線に乗り換えた。改札窓口で誇らしげに事故に遭ったことを駅員に伝えると興味無さげに記録を削除して改札を通してくれた。
思い起こせば、朝の7時から移動してやったことといったら、成田で松屋のごろごろチキンカレーを食って帰ってきただけだった。