『優しい密室』(栗本薫/講談社文庫)
〈十七歳のとき、わたしは「みにくいアヒルの子」だった〉
冒頭の一行に出会った瞬間、「これは、私のための物語だ」と思った。読み進めれば読み進めるほどに、その思いは強くなった。
語り手の〈私〉は、高校二年生の森カオルという女生徒だ。陰気で目立たないやせっぽちの少女で、文芸部に所属しており、周囲には内緒で小説を書いて投稿している。唯一の親友であるトウ子というミーハーな少女で、何かとクラスメイトの噂話に興じている。
カオルのクラスには、ひと際目立つ女生徒が二人いた。一人は、東美香。色が浅黒く素行が悪く、原千里といつもつるんでいる。千里はてきぱきした物言いの、教師にも一目置かれているような生徒だ。
それぞれが子分のように女生徒を従え、まるで女王様のように振る舞っていた。二人は放課後に遊びまくっており、何人もの男と関係を持っているという噂が立っていた。カオルは、それに冷ややかな視線を送っていたが、彼女たちもまた、カオルに対して見下すような視線を注いでいた。
文中で、女子高生への幻覚を打ち砕くような箇所がある。
〈女子高校生なんて、決してセーラー服幻想なんかおこさせる代物じゃない。彼女たちは、粗野で、埃くさく、サージのスカートをてかてか光らせ、そしてありったけの声で怒鳴りあう、汗くさいにきびだらけの──つまりは同じ年ごろの男子生徒と少しも変わることのない生き物なのだ。
だが、この年で、そんなふうに考えたり、東美香や原千里を見すかしたような、変に老成した態度を取りたがる私の方こそ、もしかしたらよほど可愛げのない、イヤな女の子なのかもしれない〉(十五ページより)
このくだりに、ひどく共感した。私もまたかつてプリーツスカートをてからせながら、重苦しいブレザーを身にまとっている野暮ったい女子高生の一人だったからだ。
カオルが通うのは中学から大学までエスカレーター式の学園で、そんな桜花女子高校に教育実習として登場するのが伊集院大介という青年だ。ひょろりと痩せ型で、人に警戒心を抱かせず、だがその目には知性の光がきらりと宿る。図書室での出会いを機に、カオルは大介と言葉を交わすようになる。
またカオルには、小説を書きためていること以外にもある秘密があった。生徒会長である、高村竜子という少女に強い憧れを抱いていたのだ。
リーダーシップに富み、成績優秀で運動神経も良い理知的な少女。それが、高村竜子という少女だった。カオルが惹かれはじめたのは、高校一年生の同じクラスのときだ。自分とは正反対で、「彼女のようでありたかった」と渇望してやまない少女にカオルは焦がれる。そんな彼女が、自分の内情を吐露する場面がある。
「私は内気で、人一倍自負と気位でふくれ返っているくせに人前ではちゃんと話すこともできなくなり、先生たちに素直でないと思われ、投稿し続けている小説や詩も日の目をみたことは一回もなく、成績も中の下で、スポーツ音痴で、友達はトウ子しかいない、だめな、いやな性格の女の子だった」(六十三ページより)
自らの思いを、トーマス•マンの『トニオ•クレーゲル』の主人公から、優等生のハンス•ハンゼンへの思いに重ねるような少女。実際の高村竜子が「どういう人間か」を真に知ろうともせず、自分の中で抱いているイメージに恋い焦がれるさまは、まるで自己愛の成れの果てのようだ。
臆病で怯懦で怠惰で、自分の内的世界ばかりを広げてしまう、いわゆる「こじらせている」森カオルという少女。かつての自分自身と重なるようで、その発言に羞恥を覚え、やがて物語が進むにつれていくつもの言葉に刺された。
やがて校舎の中で一人の男が死に、それが密室殺人であると明らかにされるのだが、カオルは自ら事件の渦中へと飛び込んでいく。「好奇心、猫を殺す」という、大介の忠告すら無視して危険な状況へと陥っていく。
「自分だけが、物事をわかっている」という思い込みや虚栄心に取りつかれ、周りを分析していたつもりが、実は何もわかっていなかったと気付かされる。これほどまでに、青春小説とミステリが深く結びついた作品があるだろうか。初めて出会ったときはむさぼるように読み、自らを主人公に重ねて頬を叩かれたように感じた。
今こうして読み返してみても、何十年も前に書かれたとは思えないほどに色鮮やかにくい込んでいく。
ミステリとしても実に読ませるが、一番は「かつて、自分が世界の中心だ」と考えていた、若く愚かな自分自身をよみがえらせてくれる、色濃く影を落とす最高傑作。