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瀬尾まいこ『夜明けのすべて』【読書11】
知ってる? 夜明けの直前が、一番暗いって。
書店で真っ青な表紙が目についたので手に取ったら、オビにこう書いてあった。
中を見てみると、PMSとかパニック障害とかの文字。
買ってみた。
主人公の藤沢さんはかなり重いPMS(月経前症候群)で、症状がでると、とんでもなくイライラして他人に暴言を吐いていた。
さすがに彼女のように暴言を吐くことはないが、イライラすることはある。それに月経前も月経中もだいたい調子が悪いのだから、月の半分は調子が悪いことになる。
つまり、1年の半分はPMS等で調子が悪く、人生の3分の1は睡眠時間で寝ているわけだから、なんかそう考えるとうんざりするというか、元気で自由な時間って短いと思う。
これで月経が終われば自由になるかと思いきや、もし更年期障害の症状がでる人間だったら、苦しみはさらに続くだろう。やれやれ…。
もうひとりの主人公、山添君は藤沢さんと同じ会社で働く男性。
なんだかやる気がないように見えていたが、ある日彼が会社で発作を起こし、パニック障害のせいでそう見えていたのだと気づく。
山添君は2年前、突然パニック障害の発作を起こした。ストレスとか気に病んでることとか何もないのに。
わたしもパニック発作のような症状が出たことがある。このとき、病院に行かなかったのでその発作がなんだったのかは結局わからない。
そのときも彼のように、ラクな仕事をしていて、何もストレスがなかったので、「ストレスとかないのになぜ?」という気持ちには激しく共感する。といっても原因はわからない。
わたしの場合。
ある日、仕事帰りに駅のホームでポンジュースを買って飲みながら、電車を待っていた。
その後電車がすぐに来たので乗った。座席に座れたが、夕方の帰宅ラッシュで電車は駅に停車するごとに混雑度合いが増していった。
座席に座っている私の上にも人が覆いかぶさるくらいの人混み感だった。
そうこうしている内に、汗が尋常ではなく吹き出し、顔が真っ赤になっているのがわかるくらい体が熱くなり、過呼吸のように息ができなくなった。
自宅の最寄駅までとても行けそうにない。とりあえず次に止まった駅で降りた。
「死ぬかもしれない」と思って必死でスマホで最寄りの病院を検索するもなかなか見つからない。そもそも何科に行っていいのかわからない。
そうこうしている内に、発作がだんだんおさまってきた。
とりあえずもう暗くなって病院もあいてないし、土地勘もない場所だし、疲労が激しいため、しばらく休憩した後、駅に戻って電車に乗り、家に帰った。
この日、電車に乗る前にポンジュースを飲んだことを思い出し、なんらかの食物アレルギーがでたのかと思った。
調べたところ、みかんアレルギーはこんな発作ではなさそうだった。
症状をあれこれ入力して検索すると、「パニック発作」と出てきた。
パニック発作だとしたら、心療内科等いかなければならない。小説の中の山添君と同じく、心療内科を検索したが、通常は事前に予約しないと診てもらえない。
しかも予約が一杯で3カ月待ちとか…。本人は「死ぬかもしれない」と一瞬でも感じたわけだから、そんなに悠長に待てないだろ、と思うが、仕方ない。
予約不要だけれど、1分しか診察してくれない病院だったとしたら困るからな。
パニック発作だったら、頻繁に発作が起こるだろうと思い、また起きたら病院を予約しようと思っていたが、それ以来2度と起こらなかった。
なんだったのだろう…。
その後も、通勤でほぼ同じ電車に乗り続けた。ただ、満員電車で座ると、逃げられない感が出るし、何かあった場合にすぐに降りられないため、座席にはしばらく座らなくなった。
なるべく空いている車両の、しかもドアのそばに立って、隙間風を吸いながら(笑)過ごした。
結局、心療内科にはいかなかったが、ずっと当時風邪を繰り返していて、免疫は弱っている気がしたし、健康診断等には何年も行ってなかったので、健診に行ってみた。
そうしたら、血糖値は最高に高いし、血圧も最高に高かった。栄養士の指導を受けるようになり、食事を改善したら風邪もひかなくなり、体調は良くなっていった。
「パニック障害は脳の誤作動」というようなことが書いてあった。私にも脳の誤作動が起こったのだろうか?それとも血糖値が高いとかそういうことからきた発作なのか…。とにかく心が弱いからなる、というわけでもないようだ。
働かないと生きていけないし、仕事がなければ毎日することもない。だから会社に勤めている。けれども、仕事のもたらすものはそれだけではない。
自分のできることをほんの少しでも、何かの役に立ててみたい。
自分の中にある考えを、何らかの形で表に出してみたい。そういう思いを、仕事は満たしてくれる。
働くことで、漠然と目の前にある大量の時間に、少しは意味を持たせられる気がする。
さっき、人生は短い、なんて書いたが、働かないと「漠然と目の前にある大量の時間」が確かに余る。人生は短いようで長く、長いようで短いのだ。
建設的な生産性のあることをしたい気もするし、意味がなくて、なんの役にも立たないけれど、ただ楽しいことをしていることが幸せな気もするんだけどな。
主人公たちは働くことに喜びを見出しているけれど、わたしは、最近ちょっと建設的なことをしようとしすぎて疲弊したので、ドラマとか映画とかだらだら見ようと思う。
タイパもコスパも悪い、お金が減っていく無意味なことをするのが贅沢の極みだよなと思う。だからってそれだけしていても不幸になるよな。
この2人の働いている会社は本当にやさしい会社だよな…こんなやさしい会社実在するのだろうか。
……なんて、厳しい社会に揉まれて、心がすさんだ人間の発想だな。
近々映画版が公開されるそうです。