自分の名前の由来を思い返してみたら、人生を見つめ直すことになった話。
私は今まで自分と同じ名前の人に出会ったことがない。きっと日本のどこかにはいるのかもしれないけど、あまり多い名前ではないのだと思う。
蓮美(はすみ)という名前は父がつけた。我が家はお寺で、私含め三姉妹皆何かしら仏教に関連した名前がついている。
中でも私は、字を見るからに仏教仏教していて、お坊さんの資格を取るために大学に通う今となっては、必然だったのかと思うくらい。
他の人と被ることがなく、今ではお気に入りの名前だけど、重荷に感じることもある。
蓮美というのは、植物の蓮から来ている。蓮は言わずもがな仏教を象徴する花で、仏様の足元にある蓮台と呼ばれる台座にも使われているし、人が亡くなった後浄土宗では阿弥陀仏の極楽浄土という世界に生まれるとされていて、その際に蓮の上に生まれるらしい。
そして、何より、「蓮は泥より出でて泥に染まらず」と言われるように泥の中から咲くのに、咲いた花は泥に染まることなく綺麗な色をしている。
というところから私の名前は来ていて、泥は周囲の汚れた悪い環境を表してて、意志を強く持ってそれに染まらず、清く生きなさいという願いが込められてるみたい。
そんな大層な意味を持った名前をつけてもらってるのに、名前負けというか全然強く潔白な人間の器ではないなと思う。むしろ、流されやすくて、すぐに周囲の環境や他人の意思に染まってしまう。
でも最近は、特にTABIPPOに入ってからは、自分の意見を言う機会が増えて、少しずつ自分というぶれない軸も持てるようになってきた気がしてる。
名前に相応しい人間になれるように、生きていきたいなと改めて思った今日のノートでした。