くもをさがすを読んだので
4月から働くつもりが、気持ちの整理ができなかったのもあるけど、なかなか仕事が決まらない。履歴書書くのも疲れた。それが5月の半ばくらいのこと。
いやでも、6月には働き始めるぞと気を取り直して、仕事情報をあちこち探しては応募して、面接して返事待ってたら、6月になってしまった。
その間に、鼻水ズーズー咳ゴホゴホで、人前に出れなくなった。
ちょっと良くなるかと思うと、声が出なくなり、ちょっと良くなったかと思うと、耳が痛くなり。右腕があがらなくなり、右足が痛くなり。
一つ一つはたいしたことではないけれど、こんなに不調が続くのは初めてのことで、老いを感じ、衰えを感じとしているうちに、死というものを強烈に感じた。
こうして体は死に向かっていくのかと。
こんなことくらいで大げさだとは思うけれど、自分の生と死がそこにあった。
体も思うようにいかない、仕事も思うように決まらない。
そして、大事なおとさんの不調、息子の不調が次々にやってきて、これまた長引く。
心がどんどんおちていくのを感じた。底が見えぬ深い穴へヒューっとおちていく自分が見えるようだった。
な~んにもしたくない。最低限の掃除洗濯炊事はする。人といる時は笑って過ごす。でも、な~んにもしたくない。というか心が動かない。カッチカチ。
入力を受けつけない。
カッチカチの心の隅っこでジメジメと不安がわいてきて、悪い方へ悪い方へ考えがいく。先が見えなくなっていく。堂々巡りだ。
今まで感じたことのない希死念慮が突然心に浮かんだ。
これはあかん。あんた相当やで。
と私に向かって私が言った。
そんなタイミングで、図書館に予約していた本が来たよと知らせが来た。
それが、西加奈子さんの
くもをさがす
だった。
なんだかなと思いながら、とりあえず借りに行く。
おとさんも読みたがっていたから、先にどうぞと置いておいた。
あ~私はどうなっていくんやろ。誰かに助けてほしいけど、誰に助けてもらえばいい?
何を助けてもらえばいい?
半分の自分は淡々と一日をこなし、半分の自分はカッチカチ。
どもならん。
ふとんに入る時だけ、やれやれ1日終わった。命の終わりに近づいていくとホッとしてみたり、無為な時間を過ごしてしもたと悔いてみたり。自分が動く。
仕事探さないかん。もっと有意義に生きないかん。みんながんばってるのに、おとさんも仕事して、息子も学校行ってがんばってるのに、私だけグダグダしとったらいかん。
不満をいだいたらいかん。不安に支配されたらいかん。
感謝して生きないかん。笑って過ごさないかん。
いかん、いかんと思いながら生きる自分と、そんな自分を無感情で見て、ただ死へと向かっていく自分がいた。
しおりがはさんで置いてある本をふら~っと手に取った。
1ページめくってみる。
カッチカチだった私が、スーッととけていく。スイスイ読める。
これは私の文だと私が求めていた文だと思うくらいに、私の大事な大事な宿題の答え合わせができたと思うくらいに、とても冷静に、そしてとても凪いだ心で読み進むことができた。
西加奈子さんが自分を見失いかけた時、屈託のない看護師さんに、別人と間違われて、
「私はニシカナコです。」
と言って、自分を取り戻したときのように、分離していた自分がカチンと一つに戻った。
私は私だ。
大丈夫。
閉じかけた扉がとりゃあ〜とあいた。
なんでもこい。
入力を拒んでいた私が消えた。
そして、今まで頑なにこうしなくてはいけないと考えていた自分を手放せた気がした。ベリベリ〜っと。
この私にしがみついていた厄介な私とさよならして、新しい自分が軽やかに生きていく気がした。
西加奈子さんの本は不思議と私の転機にやってくる。
そして、私の心の大事な礎を確認させてくれる。ぼんやりしていた私の心の中を明確な言葉ではっきりさせてくれる。
生きることの苦しさを知りつつ、人の心の弱さや醜さを知りつつ、全てを受け入れて、美しいものを探し、見つめながら、美しい世界を生きようとする。
感情いっぱいに動かして生きながら、一方でその自分を冷静に、保とうとしながら生きる。
まっすぐに生きることに向かいながら、自分を生きる。
そんな基本に立ち返らせてもらったなあ。
ありがとうございました。
私たちはいろいろな人と、いろいろな命と生きている。
死ぬ瞬間まで、たくさんの命と一緒に生き、一つの命を終える。
幸せなことだ。
ありがたいこと。
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