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愚痴は言ったっていい。

ひとつの大きな仕事を終え、ほっとしている。

ほっとしすぎたのか、ひどい偏頭痛がでた。

ひとつの仕事が終わったくらいで、
疲れが出るなんて、
まだまだ、鋼のメンタルにはほど遠いようだ。

思い返せば、この仕事がスタートした初日も、
お盆休みも、偏頭痛に苦しんだっけ。

どうやら、この1年間の鋼メンタルの育成は思ったほど進んでいないらしい。

今の仕事に異動することが決まったとき、
ひそかに目標を立ていた。

「表舞台には立たず、黒子(陰の仕事)に徹する」

陰に隠れて仕事に徹すれば徹するほど、
他人から評価されないというのは、
自分の仕事が、誰かのお役に立てているのか、
または自分が存在する意味はあるのかとさえ、
何度も疑問に思った。

人間って、承認欲求の塊なんだなぁと、
時になんだか自分が情けなくなったりもした。
そして、これまで、いかに「ありがとう」という一言に救われてきたのかも、よくわかった。

自分のために見えないところで動いてくれた方々に、わたしは今まできちんと「ありがとう」って言えていたのだろうか。もっともっと、感謝の心は表現した方がいいと、改めて感じた。

そして、もう一つ気づいたことがある。
それは、愚痴を言うことの大切さである。

感謝の気持ちを伝えることが大切なのは当たり前だが、愚痴も言葉に出して、言った方がいい。

愚痴を言うなんて、自分のためにも、まわりのためにもよくないと思っていたが、心にたまった「モヤモヤ」を、体の外に出すためには、愚痴を言うことが何よりも手っ取り早い。

人は愚痴を言いながら、頭の中で自分の思いや考えを整理しているのだと思う。

心の中の言語化できないモヤモヤを、愚痴という形ではあるけれど、なんとか自分の言葉で表現し、それを誰かに聞いてもらうことで、心のモヤモヤが整理され、受けとめることができるようになる。

言葉で表現されなかったモヤモヤは、体の毒となり、疲れを溜めこんでいき、やがて、偏頭痛として現れた。

何でも話せていた同僚の1人が退職し、軽い愚痴まじりの雑談ができる時間がほとんどなくなったことが、自分にとって、かなり痛手であった。

しょうもない愚痴を聞いてもらっていた時間が、実は心の整理の時間となっていたんだなぁと気づいたのだ。

心のモヤモヤを言葉にしたらいい。

愚痴を言うと、なんだか自分を否定的に捉えてしまいがちだが、心のモヤモヤを溜めこむ方が絶対に体によくない。心のモヤモヤこそ、デトックスが必要である。

感謝&愚痴。
対照的な2つの言葉ではあるが、どちらも、自分の言葉で、声に出して、言ってみよう。
誰かにとってのいい人になることよりも、愚痴を言ってでも、心のバランスと健康を保つことの方が、大切である。











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