上白石萌音さんで思い出した祖母の英語力の話
本日は朝ドラを見ていて思い出した祖母のど根性話。
終戦時の祖母の環境は最悪だった。小学5年生を筆頭に男の子4人、住んでいた本郷区の家は焼け落ち夫は戦死。
疎開先から戻ると住居跡地には他の家族が暮らし始めていた。相手の家族には復員した夫がいて、鬼の形相で追い払われたという。
この話をする時の祖母は「お父ちゃんがいれば」本当に悔しそうだった。
それでも子供を育てるために祖母は無法地帯の世の中で、生きなければいけない。泥棒にも入られて首を絞められてもいる。その時はたまたま隣の人が気づいてくれて助かったらしい。
安子さんではないが、あらゆる仕事を掛け持ちして生活費を稼いだ。長男が結婚する頃には女手ひとつで家を取得してしまった。
土地を取られたことをバネにしたのは本当にスゴイ。ヘタレな私なら絶対家を買うことはできない。
掛け持ちした仕事の中で割の良いものがアメリカ軍の通いのハウスキーパーだった。
そのため英語はペラペラだったのだが、物心つくまで知らなかった。
発覚したのは家の前で外国の方に道を尋ねられた時。流ちょうな英語で返し、世間話までして盛り上がっていた。
盛り上がるだけ盛り上がると、口を開けて驚いている孫達を置き去りにして、涼しい顔をして家に入ってしまった。
妹と興奮しながら「なんで今まで教えてくれなかったのよー!」と文句を言うと、
「フフフ」
と笑うのみ。
できるのであれば、小さい頃から英語を教えてくれれば良かったのだが、教えられない理由があった。
祖母は会話はできるのだが、読み書きができなかったのである。
その日その日を一生懸命生きて子供を育てるためだけに働いていた祖母は、仕事のスキルとして英語を身に付けていたため教えられなかったのだ。
家の中から英語で書かれた手紙も出てきた。
「なんて書いてあるの?」
と聞いたら
「知らねえな」
と言われた。
向こうも会話ができていたから手紙も読めると思っていたのだろう。残念ながら相手の真意は祖母には伝わらなかった。
高校生くらいの頃に妹と読み直したのだが、子供の面倒を見てくれてありがとうといった内容が書かれていた。
祖母も「天使みたいな子がいた」と言っていた。
安子さんはラジオで英語を学び生きる支えとした。
祖母は生きる術として英語を身に付けた。
言いたいことは、
とにかく、みんな、生きよう
ということ。
頑張らないで誰に頼ってもいい。
どのような形でもとにかく生きよう。
生きていれば、なにかしら身に付いている。
身に付いていなくても呼吸をしているだけで我々はエライ。
泣ける日もあるし笑う日もある。
嬉しいと思った瞬間に心が折れそうなことも起こる。
発作的に辛くなることもある。
でも命が尽き果てるまで、みんな一緒に生きよう。
生き抜く辛さを私は体験していない。
しかし、強靭な生命力の祖母を持つ孫として生きねばならぬと思っている。