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「キミとアイドルプリキュア」感想!プリキュアが目指すのは輝きを与えるのではなく「円環」させるアイドル?

 こんにちは。今回はついに放送がスタートした22作目にして20代目のプリキュア、「キミとアイドルプリキュア」についての感想を話していきたいと思う。ついにプリキュアが「アイドル」というジョーカー的なモチーフを取り入れてきたことで今作は大変盛り上がっている。「アイドル」という要素は、上手く使えが強力な武器になることは間違いないが、プリキュアとの親和性は未知数であり両刃の剣であることも確かだ。今作が「プリキュアシリーズ」としてどこまで射程を伸ばせるのか一緒に考えていこう。

 まず第一に、前作の「わんぷり」とは違い、今作は肉弾戦が解禁されたシリーズとなっている。そして、この判断は恐らく正解である。その理由として、キミプリ以外にも、女児向けアイドルアニメは無数にあるが、それらのライバルコンテンツに対してプリキュアのアドバンテージは、やはり「バトルアクション」であるからだ。

 恐らく制作者側もそれが分かっているから、「今回は「アイドル」だし、バトル要素を薄めて、歌などのパフォーマンスで敵を浄化することにしよう。」などと考えず、あくまでしっかり肉弾バトルをみせたうえで、最後の決め技(バンク)の部分でライブシーンを描くようなバランスになっていた。これなら、プリキュアの強みを活かしつつ、他のアイドルコンテンツとの差別化もでき、方向性としては正しいと感じた。

 そして、キミプリで描く「アイドル」がどういった物になるかだが、プロデューサーの方がこんな発言をされている。

  • 物語の意図について、ABCアニメーションプロデューサーの西村舞音は一般的に想像し得る「アイドル」としての要素だけでなく、応援してくれる側の存在もとらえ、「いつも応援してくれる“キミ”がいるから、隣で一緒にステージに立ってくれる“キミ”がいるから、私は輝くことができる。そしてその輝きは一方通行ではありません。もらった輝きを“キミ”に返すことで、“キミ”と“私”で照らし合っていく……。全ての“キミ”そして“私”が『キラッキランラン~♪』になれるような、そんな作品をお届けします」(キミとアイドルプリキュアwikiより引用)

 この発言からみるに、キミプリにおけるアイドルという存在は、アイドルからファンへという一方通行に輝きを与える存在ではない。アイドルの輝きが、同じアイドルの仲間や応援してくれるファン、友達、家族、スタッフさんなど、様々な立場の人を照らしていく。そして、その照らされた人々が、自分自身も輝き、他の人を照らしたり、アイドルを照らし返す。そういった、人から人への輝きの円環を生み出す存在なのであり、メタ的にいうと、アイドル(プリキュア)がファン(視聴者)を輝きで照らすだけではなく、ファン(視聴者)自身が輝いていけるようなものを目指すのではないかと思っている。

 という事で、キミプリ1話時点の僕の感想、予想はこんな所だ。キミプリがどんな1年になるのかワクワクもんである。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。ではまた。

ちなみに「キュアキュンキュン」推しです


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