看護師をしていると時々出会う人種がいる。ワガママばかり言う人だ。看護師の言うことも医者の言うことも聞かず好き勝手ばかり。ワガママは元々なのだろうか、家族とも疎遠なことが多い。 ワガママということは自分のしたい通りにしてきたということ。なのになぜだろう、ちっとも幸せにみえないのは
入院時に「急変した場合、延命するかどうか」を聞いています。病院のきまりというのもあるけども、私は丁寧に聞いている。病院にいたら必ず治るわけではなく、想定外の状態悪化もありうるから。何より人は100%死ぬ。いつかは必ず来るその時について想像して頂くために私は優しくボールを投げるのだ
名字には先祖の志や決意が込められる。 そして名前には両親の優しさや祈りが込められる。 名字は変わる人もいるし、その人個人を表すものではない。名前は生涯その人だけのもの。だから私は名前で患者さんを呼びたいなぁ、と思っいる。 ただ、これをやるとなぜか女たらしと言われる。 解せぬ
減量中のボクサーの様な目で動画に食いつく人がいる。画面には中華鍋の中で舞う炒飯。 動画を見終わり、大きく一息。そして眼前のご飯を睨む。飲み込み易くしたプリンのようなお粥に、元の形もわからないくらいに刻んだおかず。彼は麻痺が残る手で意を決し、その一匙をすくった。炒飯を食す日を夢見て
最後のTVだった。 退院のその日、AさんはTVの前から動かなかった。ある日半身不随になったAさん。リハビリの甲斐なく自宅に帰ることができずに施設に移ることに。 「そこじゃ、TVが見られないらしい」そう言ってTVを必死に見ていた。その画面に写っていたのはパラ五輪の金メダリストだった
救急隊員が泣き崩れた コロナの患者を搬送した救急隊員に看護師が「お疲れ様です」と小さなチョコを渡した すると救急隊員は泣き崩れ 「こちらの病院が72件目。ここでやっと患者さんを受け入れて頂けた。本当にありがとうございます」 声も絶え絶えに頭をさげたそう 今日も頑張る人達がいる
無駄じゃない 私は幼い頃の記憶がなくて、妻も3歳以降しか覚えていないと。ということは一歳の娘様に、今日一緒に遊んだこと、笑った記憶は残らないのかな? 無駄なのかな? いやいや、記憶に残らなくても魂には刻まれる。絶対に。そう信じ、娘の眠る手を握ると払いのけられ、裏拳を頂きました
私はなくし物の達人。財布は3度なくすし、なぜか靴下を冷蔵庫に入れ、みかんを洗濯機にいれる。難儀な性質だがそれが裏返る時がある なくし物を見つける時だ。自分自身がありえない所にありえない物をおくので、先入観に囚われず探し出す事が出来る。同僚には探知機と呼ばれるほど。欠点は裏返るのだ
「とにかく腰が痛いし、便も出づらいからから早く迎えが来て欲しい」と繰り返す90歳超えの患者さん。年齢が年齢なので急変時にどこまで対応するか確認することになった。 本人「人工呼吸器でも心臓マッサージでもなんでもしてください。生かして下さい」 これは人の強さか弱さか。喜劇か悲劇か
人は死ぬ このことを幼い頃から教えていくことが、より良い人生を歩むためには必要ではないだろうか。ゴール(死)がどのようなものかわかれば、道(人生)の歩き方も地図(未来)の描き方もわかるはず 修学旅行で遊園地に行くのもいいけど、ホスピスに寄ってみて。きっと忘れられない旅行になる
名乗ろう。貴方は何者かを。 私は「宇宙一の看護系随筆家」で「看護師の日本代表」で「今日の貴方のラッキパーソン」 名乗ってしまえば、現実はあとからついてくる。「私はバカだ」と言ってしまったら、バカになってしまうのでご用心。 名乗ろう、なりたい自分を。
良い人生の歩き方 自分の憧れる人を手本にするといいそう それも大切だけども私は誰かに憧れてもらえる人生も歩く。そう思うだけで背筋が、心がシャンと伸びる というわけで朝から娘のためにスムージー作ろうとして指を切った私でも憧れてもらえますか? そうですか ありがとうございます
いつもへらへらしていた天涯孤独の患者さん。大して働きもせずに飲んだくれて体を壊しての入院だった。ある時その方と恋愛の話になった。 「俺もさ、命をかけて好きになった人がいたんだよ。でもよ、目の前でダンプにひかれていっちまった」 そう語る目は寂しげだった。今頃想い人と会えただろうか
医者はなぜ先生と呼ばれるのか。聡明さや技術の高さ? それとも人間性? 私が出会った様々な医者の中で「先生」と心底呼べるのは両の指で足りてしまう。なので医者というだけで気圧されず、対等な意識で接してもいいのではないかと自戒を込めて。ちなみに今一番尊敬する『先生』は娘の保育士さんです
子は宝 子は毎日笑顔という宝をくれる そしてご老人も宝。自分と違う長い人生を送ってきたからこその金言の宝庫。しかしその宝探しは一筋縄ではいかない。求める物を得るには幾つもの話の迷路を超えねばならぬ。さらに立ち塞がる寿命という時間制限。早く掘り当てねば宝の持ち腐れ、話を聞くなら今
もし病院から高齢のご家族に対して大腸カメラを勧められたら…… まず自分で大腸カメラを体験してみて。そしてそれをご家族にさせて大丈夫かを想像してみて下さい 高齢者の方が検査を境に体調を崩すことが度々あります その時に看護師の間で囁かれる言葉 「便と一緒に魂も流れちゃったんだよ」
川端康成ほどの文才もなく、ナイチンゲールほどの看護力もない。杉浦太陽さんほどの素敵なパパでもないし、しょこたんよりもアニメ好きでもない。 でも私は私という世界78億人の中で一番の才能なのだ。 そう言い聞かせて生乾きの洗濯物をもう一度洗濯して子供が残したパンをかじるのだ
性善説 子育てをしていると「ああ、人間は元々善い存在だな」と思わされる。まだ一歳で病気で元気ないのに「トトも食べて」って自分のパンを差し出す。お人形さんに掛け布団をかけてあげる等々 ただ愛娘は私の乳首を噛んで爆笑するので生まれつきドSなのは間違いない
今いる病棟の平均年齢は80歳超え。そして不思議と2パターンにわかれる。誰からも愛される朗らかな人と、周りから疎まれるワガママな人。憎まれっ子世に憚る、とは言うけどワガママでも長生きはできる。でも、なんとも言えない寂しさは顔の皺から滲み出る 私は笑い皺を一杯刻む人生がいい
すでに三人の子を育て上げたお母さんである看護師が言った 「若い頃に戻れたらもっと子供を産むなぁ」 もう三人も産んでいるのになぜ? ワケを聞いてみた 「ほら、もっと産んでおけば確率的に出来のいい子が来るかもでしょ?ろくでもない子ばっかりだから」 問題 ろくでもないのは誰でしょう?
妙齢の看護師が私語を始めた。 「最近ハマっている曲があるのよぉ。私ロック好きでしょ? この曲も最高にロック。歌うとすっきりするのよぉ」 会議が始まってもまだ私語は止まない。 「この曲知らないの?遅れてる〜。Adoって言ってね……」 それではみなさんご唱和下さい 『うっせぇわ』
私は店員さんに声をかける時緊張する。なんなら声をかけられず店員さんの周囲をぐるぐる回ったりする。一見すると不審者である そんな私は勤務中には初対面の人でも物怖じせず声をかけられる。そうか、これが白衣の権威……!ならばプライベートも白衣で過ごせばいいのでは!? うん、只の不審者だ
片足を病気で切断した患者さん 「前はさ、社長だったの。でも人に騙されて潰しちゃって。女房も子供にも逃げられてさ。そこから転がり落ちたよ。落ちきったよ」 生きてればいいことまだまだありますよ、と声をかけたら 「ありがとよ。したら今週の競馬当たるかな?」歯のない口が弓になった
家内安全 工事現場じゃあるまいし家内「安全」って大袈裟じゃ……と思っていたけど、誰かさんの取り扱いを間違えると大事故につながるなぁとフッと笑っていたら奥様が目の前にいて本当におっ家内。
クリームソーダと炒飯 これが私の看護師としての出発点 幼い頃、姉と一緒に母の勤め先の病院に忘れ物を届けた事がある。初めて見る母の働く姿。そして食堂でご馳走してくれたクリームソーダと炒飯。あの美味しさと母の笑顔が病院を近い存在にしてくれた。そして十数年後、私は看護師になった
妻はメンタルの病をもっている。その病は子供ができれば良くなると考えていた。当時は藁にもすがる気持ちだった しかし今思えば不純。あまりに不純。そして甘かった。命を迎えるということは覚悟と愛が必要だと愛娘が毎日教えてくれる。 笑いながら裸で追いかけっこをする妻子を見てそう思う。
夜になるとナースコールが頻回になるご婦人 しかしなぜかある夜、珍しく朝までぐっすりだった 訳をきくと「お笑い番組を見ていっぱい笑ったからかな」と。ここでふと思い出す。日中に久しぶりに夫に会えていたことに。それとなく聞くと「そんなんじゃないわよ」と そう言う顔は花のような笑顔だった
この子と仲良くしよう このかわいい子はママよりトトよりも長く君と一緒にいる子。そしてどんなに辛いときも絶対に君を裏切らない。 だからこの子と仲良くしてね。 仲良くする方法? んー…笑顔かな。君が笑えばこの子も笑う 君がこの子に会いたくなったらその時は簡単。鏡の前に立てばいい
高校野球を熱心に見る元ヤクザの患者さん 「高校の時は何か部活してたの?」と聞くと、少し遠い目をして 「二十歳の頃からヤクザやってるからよ」とだけ言って、視線をまたテレビに戻した その眼差しは青年のようなキラキラと少々の影を混ぜた少し寂しい色だった
心の距離 シワひとつない制服を着た中学生の女のコ そのすぐ横にスーツ姿のお母さん 楽しくオシャベリする二人の数メートル先で一人歩くお父さん この数メートルが父娘の心の距離なのかな お父さん頑張れ 超頑張れ 応援してます 私は娘と妻と手を繋いで入学式行きたいなぁ だめかなぁ
「看護師を目指す人は変」 そう精神看護学の先生は言った。そしてこう続ける 「汚いことや辛いことが多い人の世話を進んで仕事にしようというのは変な人だよ」そう笑っていた先生は数ヶ月後に癌で亡くなる 男で看護師を目指した私は相当に変だから「今日も笑顔配りまーす」とか言っても許される筈
病院は今も面会中止中 お洗濯物を届けてくれたご家族を二階の窓から発見、すぐに患者さんにお知らせ。腰痛で歩くのもやっとだった患者さんが小走りで窓に駆け寄る。患者さんに似た娘さんとお孫さんが一生懸命手を振っていた。離れた場所で同じ笑顔がみっつ。 心に花が咲きました
睡眠は死の仮体験という説がある とある患者さんは認知症で起きると暴れてしまう。そのため一日中鎮静剤を点滴され眠らされている。 鎮静剤の名前はドルミカム。 彼はすっかり年中無休で、夢の住人だ。 睡眠は死の仮体験という説がある。眠り続ける彼は生きているのか、それとも?
ある寝たきりの患者さんが言った 「生まれる時もオムツをして、死ぬ時もオムツをするのね」 生まれた時も人の世話になり、死に瀕した時も世話になる ではその恩はいつ返すか。チャンスは生きている間ずっと。 そして恩返しができた分だけ、安らかな最期を過ごせると思う
人は毎日1500ccの水分と程よい電解質と約300キロカロリーさえあれば一ヶ月以上生存可能 それを証明する人がいる。ただどんどん骨と皮だけになる。生きる為に余計な物を削ぎ落とすかのように 彼女は言う「帰りたい」 この証明が終る時、ようやく彼女は帰ることができる。そしてその日は近い