てんぺい@看護師兼宇宙一幸せな随筆家
病院の選び方や、病院の日常をお届け
病院を一人のヒラの看護師が変えていく 現在進行形サクセスストーリー!
W看護師が挑む恐竜(のような)娘の育児奮闘記
毎日が特別な一日
私は別にスピリチュアルな人でも宗教家でもないです。 壺も売ってません 神様はいるんだろうな、とは思っている程度。そんな私が「宇宙一幸せな看護系随筆家」という肩書きを名乗ることになった経緯が今日のお話。 以下ちょっと真面目な話をします 以前まで私は看護師として働きつつ、医療ライターとして記事を書いてきました。 医療ライターととしての目的は「医療による『余計な』悲しみ・苦しみをなくす」ため。 実際の医療現場を知ってもらい、読んだ皆さんがよりよく医療と付き合え
看護師の仕事を通して一人の命を救うのがどれだけ大変か身に沁みてわかっている。だから沢山の命が消える戦争をしかける人の気持ちがわからない
娘様と出かけると、家の近くで赤い実を必ずプレゼントしてくれる。時には5つも。実がなくなるのが先か、君がくれなくなるのが先か。そんなこと思う、寒い日
看護師をしていると時々出会う人種がいる。ワガママばかり言う人だ。看護師の言うことも医者の言うことも聞かず好き勝手ばかり。ワガママは元々なのだろうか、家族とも疎遠なことが多い。 ワガママということは自分のしたい通りにしてきたということ。なのになぜだろう、ちっとも幸せにみえないのは
運勢を上げたいならまず口角をあげろ。話はそれからだ
入院時に「急変した場合、延命するかどうか」を聞いています。病院のきまりというのもあるけども、私は丁寧に聞いている。病院にいたら必ず治るわけではなく、想定外の状態悪化もありうるから。何より人は100%死ぬ。いつかは必ず来るその時について想像して頂くために私は優しくボールを投げるのだ
名字には先祖の志や決意が込められる。 そして名前には両親の優しさや祈りが込められる。 名字は変わる人もいるし、その人個人を表すものではない。名前は生涯その人だけのもの。だから私は名前で患者さんを呼びたいなぁ、と思っいる。 ただ、これをやるとなぜか女たらしと言われる。 解せぬ
無駄じゃない 私は幼い頃の記憶がなくて、妻も3歳以降しか覚えていないと。ということは一歳の娘様に、今日一緒に遊んだこと、笑った記憶は残らないのかな? 無駄なのかな? いやいや、記憶に残らなくても魂には刻まれる。絶対に。そう信じ、娘の眠る手を握ると払いのけられ、裏拳を頂きました
私はなくし物の達人。財布は3度なくすし、なぜか靴下を冷蔵庫に入れ、みかんを洗濯機にいれる。難儀な性質だがそれが裏返る時がある なくし物を見つける時だ。自分自身がありえない所にありえない物をおくので、先入観に囚われず探し出す事が出来る。同僚には探知機と呼ばれるほど。欠点は裏返るのだ
減量中のボクサーの様な目で動画に食いつく人がいる。画面には中華鍋の中で舞う炒飯。 動画を見終わり、大きく一息。そして眼前のご飯を睨む。飲み込み易くしたプリンのようなお粥に、元の形もわからないくらいに刻んだおかず。彼は麻痺が残る手で意を決し、その一匙をすくった。炒飯を食す日を夢見て
最後のTVだった。 退院のその日、AさんはTVの前から動かなかった。ある日半身不随になったAさん。リハビリの甲斐なく自宅に帰ることができずに施設に移ることに。 「そこじゃ、TVが見られないらしい」そう言ってTVを必死に見ていた。その画面に写っていたのはパラ五輪の金メダリストだった
救急隊員が泣き崩れた コロナの患者を搬送した救急隊員に看護師が「お疲れ様です」と小さなチョコを渡した すると救急隊員は泣き崩れ 「こちらの病院が72件目。ここでやっと患者さんを受け入れて頂けた。本当にありがとうございます」 声も絶え絶えに頭をさげたそう 今日も頑張る人達がいる
私自身片親で育ち、様々な片親で育った人達を見てきての全くの私見です 片親で育った子は親との時間の不足や経済的に苦しくなりやすいので、「歪む」気がします。歪みは劣等感かもしれないし、怒りっぽさかもしれない。他人への不信感かも。 でもね 離婚してくれたから私は犯罪者にならなかった。あのろくでもない父親とずっと一緒だったら、私は父親を刺していたと思う。それか父親に洗脳されて同じ堕落の人生をおくっていたかもしれない だから貴方や子供が配偶者のせいで笑えないなら離婚してもいいと私
名乗ろう。貴方は何者かを。 私は「宇宙一の看護系随筆家」で「看護師の日本代表」で「今日の貴方のラッキパーソン」 名乗ってしまえば、現実はあとからついてくる。「私はバカだ」と言ってしまったら、バカになってしまうのでご用心。 名乗ろう、なりたい自分を。
いつもへらへらしていた天涯孤独の患者さん。大して働きもせずに飲んだくれて体を壊しての入院だった。ある時その方と恋愛の話になった。 「俺もさ、命をかけて好きになった人がいたんだよ。でもよ、目の前でダンプにひかれていっちまった」 そう語る目は寂しげだった。今頃想い人と会えただろうか
人は死ぬ このことを幼い頃から教えていくことが、より良い人生を歩むためには必要ではないだろうか。ゴール(死)がどのようなものかわかれば、道(人生)の歩き方も地図(未来)の描き方もわかるはず 修学旅行で遊園地に行くのもいいけど、ホスピスに寄ってみて。きっと忘れられない旅行になる