慶長16年(1611)3月28日は家康が二条城で豊臣秀頼と会見した日。秀頼に加藤清正・浅野幸長が付き添い亡き秀吉の正妻高台院も臨席し無事終了した。会見の無事終了を畿内の庶民も喜んだとか。徳川への臣従を示すことになると会見反対派もいたようですが戦は回避。ただ、大坂の陣まであと3年。
慶長4年(1599)3月4日は石田三成が加藤清正ら豊臣七将の襲撃計画により伏見城へ逃れた日。抑え役の前田利家が前日死去し起きた事件で家康が仲裁した。襲撃でなく七将が家康に三成の制裁を訴えた騒動だった説も。何にしても内輪で争っていたら利用しようとする者に隙を与えてしまうわけですね。