自由を推奨する新自由主義社会と自由を奪われるが事が幸福につながるとする松居和さんの語る日本の子育て文化。両者は相いれないもの同士と言える 健全な子育てを行う社会に至るためには新自由主義と対立するしかない 子どものために社会に立ち向かうという認識を共有できないものだろうか
「選挙」と「子育ての社会化」が重なった時に起こり得る、歪んだ合理性と発想がそこに見える。親が育たない、という状況の蓄積が持続可能な社会制度を一層困難にしていく。 母子家庭が犯罪を生むのではない。父親不在を補う絆が希薄になっていること、仕組みでそれは補えない
いい人間性を育てられるのは幼児以外にもある。だが、人間も生物である以上、幼児がいい人間性の原点があるのは事実である 生きつなぐこと、生物の基本をブレずに目的の中心に置けるかがカギとなると思う 豊かさのこわさは生物の基礎を欠落させても問題なしと認識させてしまうことにある
人類は「利他」(弱者のために生きる)という幸福観を伝承しなければならない。幼児は、信じることで存在し、頼り切ることで輝く。その光に照らされ、人は自分の「価値」を知る。この善循環を取り戻したい 1対1の人間関係の中で守られない状況」が人間関係構築力に問題を引き起こす
自分は松居和さんの子育て文化?というか幼児を大切にするという言葉に反応できるかが日本人が現実を生きられるかの最重要ポイントだと考えている 幼児を愛するという全生物の基本を忘れてしまえばそれはもはや生物ではなく、どこまでも歯止めがきかない邪悪に成り下がれてしまうから
子育ては、損得勘定を捨てることに幸せを見出すという人間性の本質を耕す オロオロしない親は育たないと昔の園長たちは言った。そのオロオロを子供を見て親子の絆が育ってゆく。子育ては自信を持ってするものではないし、正しいやり方があるわけでもない。いい親でありたいと思った瞬間があればいい親
情報は思っていた以上に入ってくることがない 松居和さんの話に共感し、社会の有り様を見直そうという声や取り組みは地方の問い合わせや相談所では取り扱っていないのだろうか? 調べたいこと、探したいことが明確になっても、ネットにも現実にも当てがない なぜなのかを尋ねる相手もいない
少なくとも、日本の子育て文化は世界中どの国にも負けないくらいの高品質であり、新自由主義が蔓延し、家族の絆が壊されてきても、まだアメリカなどと比べて家族の形が残り続けている 日本人は自分たちが子供や弱い人を助けること中心に置いてきたことだけでも誇りに思い繋いでいかなければならない
「性別(性的)役割分担意識」なしで人間社会は成り立たない。 結婚が、人生の主目標から外れ、子孫を作ろうとする意欲は薄れる。しかし、この会議は、「それは困る、少子化は困る」という。そして、「子育て」の苦労を減らしてやれば産む、として母子分離を進め、それを「異次元の少子化対策」と呼ぶ
利他の精神が土台になければ、本当の文化とか伝統とかは生まれないし、成り立たない 日本はかつては世界有数の利他の精神を共有できている国だった その精神の喪失が文化や伝統の衰退に繋がっているのではと思っている 成長以前に復古が必要であり、多様性以前に共通性が必要である
利他、ケア、育児、回帰、愚行。これらが今の自分が重要だと思っているワードの一部だと思う 弱き者と触れ合うことで触れた者がまだ弱き時期を思い出しケアの気持ちが育まれやすくなると松居さんの本でに書いてあったと思う 利他は相手の弱さに寄り添い、肯定するのが一つの指針だと思う
https://youtu.be/1qgvUeU_I74?si=6srgLbZASAbFYmIc 他の難しいことはわからなくていいから、とりあえず子育ての大切さと必要だという事実は共有できないかと思う エリートを育てたいわけではない。最低限度が全体でできていればそれでいいと思う 弱い人でも最低限度の一線は守れると思って動く
https://youtu.be/tsft5u1JXt8?si=19WiuPzUHKN1b4Ik 学ぶとは?学校の意義は何かに気づきをくれるとても貴重な回 経済優先に洗脳されていることが人間性や人道精神に大きな弊害を与えているのは確かなこと 経済よりも何よりも大事な物差しがある。それを幼児が教えてくれる
「制度による福祉」は非常に歴史が浅い試みで、弱者を助けているようで、時間の経過とともに弱者の孤立化を進める。家族という論理性や損得を超えた関係に守られなくなった弱者には、しばしば過酷なことになる 損得や合理性を超えて弱者を助けることに価値というものを見出さねばならない
「小一の壁」をなくすための「保幼小連携」というテーマで講演を依頼され、「『壁』を低くし連携をスムーズに、では解決にはならない」と言うと驚かれる。本来「壁」が子供を育て、親を育て、家族の絆を育てる、そう説明するとすぐに理解される
国基準の1対 30 では無理で加配が不可欠。ところが、4、5歳児の加配が待機児解消に回され、結果起こる混沌の中で、疲弊した保育士が「教育」と「しつけ」を混同すれば虐待まがいの風景が現れる。「就学前教育」で生じる保育の質の変化が、その後の学校教育にさらに負の影響を及ぼす
幼保一体化も趣旨を読むと、子育てと教育の混同から始まっている。保育園に預けている親の子供は「教育」を受けられない。だから幼稚園と保育園を一体化して「平等に」教育が受けられるようにする、というのだ。そして、保育所保育指針に「教育」という言葉がいくつか入った。
経済的にも治安面でも成功例と捉えていいこの国の有り様を、欧米志向の自虐的とも思える論法が上回り、その傾向はいまも続いている 欧米で植民地支配的な権力構造が崩れ、暴力につながっていっている 「幼児たちが絶対的弱者としての役割」を果たせることが人類が進化する最低条件
「教育や福祉」と「家庭」は共存出来るのか。日本では可能ではないか。学校教育を労働力確保と混同したところに欧米社会の失敗がある 自由、自立、平等という言葉が「親子」という社会の基盤となる人間関係と相容れないということ、学校が、親心が育つ機会を奪うことを私たちは、知らねばならない
認可外小規模保育施設や家庭的保育事業など様々な形の保育事業が認可の枠組みに入り補助金が受けられるようになる。国の予算に裏打ちされたリスクの少ない 「起業」と宣伝され、企業主導型保育事業のような失敗が繰り返される 保育は「教育」よりずっと古い、人類普遍の価値を守る行いであるべきはず
企業主導型保育園 儲けるための親支援、保育士を労働力としか見ない経営者的発想、子供の成長など眼中にない安易な損得勘定、数年で廃園になっても、すでに誰かが儲けているという背景 保育士の低賃金をベースに、子供たちの安全、保育の質を考えると継続性が見込めない危ういビジネスの形だ
https://youtu.be/SZBhNioFrPo?si=D8yFD3GQujgvs5MS 男女共同参画「競争」社会を作ろうとしている政府に抵抗感と反発心を自分は抱くべきだと確信した だが、今の政府の子育てをめぐる状態に松居さんのような反発を掲げている政治家や言論人はあんまり見えてこない これ一番やりやすくて重要ではないか?
https://youtu.be/6sIKJb2kF6M?si=oxcV6zb9dKo8ysvL 政治用語の多用によるパッケージ化というのも視野を狭め、思考停止を招く 損か得かで考えているから人は分断され、争いあってしまう 無用な争いを減らすには、損得を超えた普遍的で絶対的な公の基準を設けることが必要だと考えている
松居さんの話に賛同している、議員さんはどこかにいるのだろうか? 彼の意見を実現するには少なくとも市町村レベルの政治を動かす必要があると思う 国の政治家にはいなさそうだから、せめて地方議員の中に賛同者をいればいいのだけれど
https://youtu.be/L52wwug1xX4?si=i-nNr9OKtETFPhoO 日本人でなくてもれでも一度は聞いてほしい 言葉では伝えきれないけれど大事なことがこの動画にもその背景にも詰まっているから
松居和さんの訴えたいことは幼児の気持ちを軽視して経済活動優先のために、母子分離政策を進めている政府への抵抗の意見だと思われる 政治活動と言えるかと思う まだ、あまりに世の中には浸透していないが故か取り上げる人も少ないけれど、内容の大切さと共感領域はとても広い内容だと思う
松居和さんが行っている、子供を中心とした家族の在り方を支えられる共同体を作ろうという活動。肯定する声は多いけど、実際に活動している現場や広げていこうとしている個人・団体はあまり見かけない なぜ、見当たらないのかという疑問とどうしたら自分も広げる活動ができるのかと悩んでいる
「ビオトープ」生物が生きていける環境を整備すること 今の日本には幼児が安心して育っていける環境があまりない。親が育つ環境もあまりない 生きていける環境が少なければ、人が減っていくのは当然のこと 健全な人が育ち、自らも育てられる環境を我々は作っていかないといけないと思う
https://youtu.be/oAIO8RTAqIY?si=op9O0iCHnaAKk8bV 今の一番の押しはこの松居和さんだと思う 親と子を大事にする。生物の基本ともいえるものを感じさせてくれるからだ この基本がないとどんなものも空虚で大事なものが欠けている上っ面のだけのものに見える 肝心を欠いているのは大きな問題だと思う