子どもの命日が近づくとだんだん気分が沈み込み心が囚われていった。今はそうでもない。それが時が経ったということだろうか。私はずっと「時は残酷だ」と思ってきた。生きてるものは死へと向かい、時は待たない。ところが今初めて「時って優しいのかも」と不思議に思った。分からない。
大切な人を失ってからしばらく朝目覚めるのが絶望の始まりになっていた。目覚めたらやっぱりいない、その人がいない世界の現実に自分がいなきゃならない。「昨日の今頃は生きていた」「一週間前のこの時間は生きていた」思考は過去に遡って時間に追いすがり、肉体は時間に閉じ込められ遠くに運ばれる。