文体や言葉の硬軟は言うなれば書き手の気持ち次第。何かむつかしい事を背伸びして言おうものなら、その文は急に魔物の抜け殻のように本質のちぎれたものとなる。言葉は一つ一つ吟味して使うが、書き手がどうしても事象を一閃して議論を運びたいときは、文体も険しいものとなり、陰気臭くなってしまう。
いくらでも人生はやり直しが効くってよく言われるけど、そういう事は大器晩成型の人じゃないと説得力がないのが悲しいよな。九度山村に蟄居してても、十年後大坂城に呼ばれる事はあるって、僕らは歴史で知っとるけんど。
東大殺人未遂事件。犯人の供述。「勉強が上手くいかなくて、事件を起こして死のうと思った。」俺の意見は、勉強が上手くいっているなんていう感覚になった事は受験生時代一度もない。YouTubeのコメ欄の人みたいに、待ってろ〇〇大ってな感じで吹聴してれば気が楽さ。宿命を背負い人は生きるもの
辛い事や悲しい事を伝えるとき、本当に悲しいとかガチで辛いとか副詞で強調する必要はないと思う。中身が正確に相手に伝われば、相手はそれとなく推察出来るし、そうでない人にそもそも相談する必要もない。思いとは事実を基に伝える事で、辛く苦しんでる本人が心を痛めてるとき、無理してはいけない。