「探究」に接していて感じる違和感シリーズ。 その5 こたえのない という言葉 「こたえ」とはなんだろう。 哲学的に「こたえ」がまだない、ということもあるかもしれない。 でも探究では「こたえ」はもつ。 納得解とか、最適解とか ないのは「正解」では? 無自覚の濫用にご注意を。
「探究」に接していて感じる違和感シリーズ。 その6 良い問いと悪い問い 時々探究の研修をのぞかせてもらうことがある。 そこではテーマ設定の仕方などのお話があったりする。 そういう時は大抵「良い問い」と「悪い問い」の例が出ていたり。 ん? 問いに良いも悪いもあるんだっけ?
「探究」に接していて感じる違和感シリーズ。 その4 探究授業に正解を求める姿勢 探究とは、正解の用意されていない問いに対して自分なりの答えを導き出す営みのこと。 正解ではなく最適解や納得解を見つける授業。 だから、つくる側こそ授業の正解を求めないこと。 創ることを楽しもう。
「探究」に接していて感じる違和感シリーズ。 その2 「探究」と「探求」の混合 わかる。僕も初任校で書き間違え主任に鋭く指摘された経験がある。 探究的思考を働かせるからこそ、まず探求との違いを明確にしたい。 そしてそれを絶対解などにはせず、 より最適な解を模索していきたい。
「探究」に接していて感じる違和感シリーズ。 その3 与えらえるだけの課題 探究とは本来、心の内側から湧き上がる問いを追究していくこと。?と!の連鎖。 生徒の?を教員も同じ視点で持つ。 「教える」を手放して、生徒と共に探究観を磨き続けたい。
「探究」に接していて感じる違和感シリーズ。 その1 「探究学習」という言葉 この造語は「探究」と「学習」を分けて考えることが前提にある。 でも学習とはそもそも探究的なものであるはずなのにそこ分けちゃっていいの?! と思う。 学び、習うことそのものを探究的にしていきたい。